娘の為に花壇を制作~完成まで

ガーデニング

2009年9月10日

この度、花壇を大きく作り直す事にしました。

母親として、娘の世話を焼きたいが為の自己満足だけど

亡き娘の為に何かしらの労を費やしたい。

レンガを使って可愛い花壇を作りたいと思います。

本物の木の株がネットで売ってたので買ってみた。

小鳥のオブジェを乗せてみたら凄く可愛いぞ。

2009年9月21日

花壇の囲いは化粧レンガを使い、今までの4倍の大きさの花壇を作ってます。

連結丸太を使って花壇内の仕切りにし、扇形の敷石を敷いたりして花壇内で花を摘むための通路にします。
レンガと枕木を使って仕切りを付けました。ここにはハーブ類や娘の好きなイチゴ苗を植える予定です。

2009年10月13日

娘に手向ける花用の花壇が完成。これから花の種をまいたり苗を育てます。

薄暗くなると光るランタン(電池式)が良い仕事してます。

花を引き立てる名脇役に成ってくれると良いです。

敷石の小道にも脇にハーブ系を植えてみた。

2009年10月19日

イチゴの苗に花が咲きました。実がなると嬉しいな。

ルピナスの種、スイートピーの種が芽を出しました。

↓固そうな土なのに頑張って芽を出してくれた。

ルピナスは種まきから1週間で芽を出しました。
数日後、スイートピーも芽を出しました。

ただ、ラナンキュラスとアネモネの球根の芽が未だ出ないから

どうしても気になって球根を植えた場所を掘り起こしたら

球根から芽が出てる最中だった。

土の中にコガネムシの幼虫が沢山いた。

2009年11月10

娘の花壇に植えたイチゴの苗に実が付いた。

妖精の置物の周りにはフリンジパンジーの苗を植えた。

芽が出るのかが心配で何度か土を掘り起こしてしまったアネモネの芽も元気に育ってます。

先日、リースに挑戦してみた。

よく咲くスミレ(ブルーハワイ)と、ビオラの水色で作りました。

2009年11月26日

妖精の置物周りに植えたフリンジパンジーの花が開花を始めました。

妊娠33週目~息子誕生(少しづつ買いそろえたベビー用品)

/IVFからの高齢出産

2009年1月31日(33週目)からの日記

先日、検診に行って来ました。

赤ちゃんの体重は33週で2200g程に増えて居たのに

私の体重は増えて無かったのでホッとした。

体重が増えてなかったから調子づいて病院の帰り道に又ケーキを買ってしまった。

最近は胃が喉の下まで来てる感じで直ぐにお腹が一杯に成ってしまう。

2009年2月13日(35週)

35週の検診日では特に変わりなく赤ちゃんは2500g程に成長してました。

次回からは1週間ごとの検診になります。来週には手術日を決めるのだと思う。

2009年2月27日(37週)

今日の検診では2700g程に成長。

お腹が兎に角、重い。胃が圧迫されているせいか食欲が出ません。

っていうか、最後の妊婦検診の時点で まさかの70キロ越え。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: 17894.jpg
うわ~~!腹囲99センチ?体重70.8kg?人生の中で最高記録だわ。

もうすぐ生活が再び一変します。(体型も一変させないと)

本来なら子供の手も離れて優雅なアラフォーを送る予定だったのに

人生は何が起こるか分からないと性根に沁みた30歳代だった。

3月生まれの私は、あと2週間ほどで40歳代に突入。

3月10日の日記(息子が誕生)

3月2日、手術準備のために入院し、3月3日に帝王切開で男の子が生まれました。

 帝王切開は内臓を触られている感触が在るとか、

術後に傷口がとても痛むという噂を訊いていたけど

背中からの麻酔が良く効いたのか手術中の違和感も感じなかったし、
術後の痛みも無くて、申し訳ない位に楽でした。

3月3日の朝、手術室に入ったら先ず背中に麻酔をして貰いました。

背中の麻酔は過去に1度経験してて本当に気持ちが悪くて嫌だったけど、

先生がとてもお上手だったお陰ですんなりと針が刺さりあっさり麻酔が掛かりました。

足が痺れてきて感覚が無く成り、お腹を切っていることさえ分かりませんでした。
まだお腹を切開してないのかな?もしかして既に手術は始まってる?って思っていたら、
「もうすぐ赤ちゃん出てきますよ~」って声が掛かり元気な産声が聞こえました。

無事産まれてくれた事が有難くてとても嬉しかったです。
柄にもなく嬉し涙が出ました。
「少々出来が悪くても構わないから絶対に親より先に死なないでね」と願いました。
頑張って体外受精に踏み切って良かった。
やっぱりどんな存在よりも可愛い。我が身に変えても守りたい。心からそう思います。息子のおかげで生きる希望が出来ました。

入院中は普通の人に比べてテンションがかなり低いけど看護師さんや他のお母さんとも会話が出来る様になってました。

これから子供の成長に伴って色んな人との社会的パイプが広がる事と思います。

自分なりに少しづつ人付き合いが出来る様に成れたら良いと思います。

退院したら忙しくなりそうです。

トーマスベッドがどうしても欲しくてベビーベッド代わりに買いました。

寝返りが出来るように成ったら転落防止柵を購入しなくては、、。


Step2 ステップ2 トーマス Tank Engine トッドラー ベッド【並行輸入品】
にほんブログ村 子育てブログ 高齢ママ育児へ
にほんブログ村

(妊娠25週目)風疹抗体値の再、再検査の結果

/IVFからの高齢出産

2008年12月1日(25週目)

今日は約2週間ぶりの通院日でした。

妊娠初期に検査した風疹抗体値が高すぎた為、再検査をしていたけれど

再検査でもプラスマイナスと云うハッキリしないウィルスの値でした。

(巨大膀胱や羊水検査の事で頭がいっぱいに成り、気に留めるのを忘れてた)

で、再検査の再検査を2週間前に受けまして、今日結果が出ました。

検査の結果は 問題なし。

妊娠初期から次から次へと不安要素が沢山あって

心配ばかりだったけど、やっと25週目まで来ました。

ただ、今回の再検査の再検査を受けた事は主人には内緒にしてました。

今日の結果が悪かったら相談しようと考えてたけど

相談する羽目に成らず良かった。

健康で問題なく子供を授かれる事って

世間一般では当たり前の事なのかもしれないけど、

本当は とても有難い事なんだと実感した。

今朝、病院に行く事を主人に伝えたら、

何も知らない主人は通常の検診だと思っているので

「今日は、お腹の子供の写真を もっと可愛く撮って貰って来てな♪」と言ってました。

こっちの気も知らずに、。と思ったけど親馬鹿な旦那に少し笑えた。

娘を失った私達夫婦には もう2度と子供は持てないと思ってたから

主人も嬉しい気持ちに成れたんだと思う。

ただ、娘を失ってしまった事とは どんな嬉しさが在っても相殺出来ない。

2008年12月15日(27週目)

2週間ぶりの通院日でした。

逆子に成っているが帝王切開だから別に構わないのか逆子体操は勧められなかった。

娘の時も逆子だったけど逆子体操で直ぐに治った記憶がある。

赤ちゃんの体重は1kg強あり、順調に育ってる。

妊娠初期は標準より小さすぎて心配したけど安心しました。

私の方は妊娠前と比べて20kgも体重が増えてしまった。

ちょっと、いや、かなり生活を見直さないといけない。

病院の待合椅子で足を組もうとしたら片足が、もう片方の太ももの上に届かなくなってた。

いや、これ冗談じゃなくて本当なんです

何度も足を組もうとチャレンジしたけど出来ないから

一人でドリフコントを遣ってる状態。

娘を亡くしてからの周りの反応

2008年11月10日

私は娘を亡くしてから朝に起きる事が出来なくなり、昼まで寝込む事が多い。

娘が生きていた頃は早朝から起き、

家事や仕事に励んでいたので時間が幾らあっても足りない程でした。

今ではテレビや新聞も見ない様になり、

車の運転中に聴いてたカーオーディオも聴かなくなりました。

テレビから聞こえてくる楽しそうな声を聞くのがとても苦痛で成らない。

刺激のない静かな空間で過ごしたいと望むようになりました。

まだまだ現実を受け入れる事が出来ない。

(2022年3月加筆)

親の場合は勿論ですが、夫婦の場合でも早かれ遅かれ、

どちらかが先に亡くなる事への心積もりが在るのが普通です。

ただ、その対象が我が子となると、

この平和な世の中で「親より先に子が亡くなる」という

心積もりをしてる人は先ず居ないと思います。

何より、子供を亡くす経験した人は身近では殆ど居ない世の中です。

経験した事のない人達からの励まし言葉は反って辛くなる事が多い。

当初は社交辞令的な励まし言葉に傷つき、何度も泣きました。

代表的な言葉は

「早く元の様に元気に成ってね」「いつまでも泣いてたら娘さんが悲しむよ」

「もう帰って来ないんだから」等、。やっぱり分かって貰えないんだな。と思いました。

確かに、慰める立場目線だと「元気に成って欲しい」気持ちが1番強いから

双方の気持ちが食い違うのは仕方のない事。

子供を亡くして 数年間の親は元の自分に戻る事を願っているのでは無く、

『元の姿で我が子を返して欲しい』 その願いしか無いのです。

当時の私は

『ずっと泣き続けて居れば誰かが私のもとに娘を元の姿で返してくれるんじゃないか』

そう思い込んでいて、娘が亡くなった事をずっと認める事が出来ませんでした。

当然ですが、いくら月日を費やしても願いが叶う事はありません。

だからとても辛いのです。

とてつもない月日の経過と共に だんだんと諦めに代わっていった。

私の場合はウェブ上で同じ境遇の方のブログを探し、連絡を取り合いました。

励ましあったり慰めあったり、互いに気持ちを共有する事で

自分なりのグリーフケア(喪失を癒す方法)を見つけた気がします。

ブログを通じてメッセージ交換をする事で、

私もこの方たちと一緒に頑張って生きて行かなくては。と思うようになりました。

我が子を失う経験から何年も経過してる方からは

貴重な意見や励ましを貰う事で とても助けられました。

こんなに苦しいのは自分ひとりじゃない。

私の他にも同じ様な悲しみを背負っている親御さんが居る事を知りました。

だからもし、周りの人が気持ちを聞き入れてくれるなら

自分が生きている事さえ苦痛な気持ちを理解してほしかった。

この辛さを理解しようとしてくれるだけで良かった。

何も出来なくなってしまった事は自分でも解って居るのに

追い打ちの様に頑張れ」という言葉を掛けられるのが苦痛だった。

生き甲斐を失った私が何を頑張るのよ。

当時の私は、友人への対応が悪かったのもあり、

『今は、そっとして置こう』→『もう、永遠にそっとして置こう』

と、いう流れで離れて行った友人が殆どです。

それでも、私の気持ちを理解してくれた友人は

玄関先で二言、三言かわすだけの挨拶だったけど

「御供」と書かれた菓子折りを持って来ずに、元気だった娘への差し入れの如く

定期的に美味しそうなお菓子や食材を持ってきてくれて、

今でもお付き合いしています。

気難しくなった私を見捨てずに

ずっと気にかけ続けてくれた友人は一生大事にしたい親友だと思っています。

(死別)我が子を失ってからの悲しみのプロセス

グリーフワーク

2008年10月26日

今日は主人の仕事のお使いで1年10か月ぶりにケーキ屋に行きました。

数か月前ならどんなに頼まれても

『ケーキ屋さんなんて絶対に無理、行けないよ。』と断ってたけど今日は行けた。

ケーキ屋の店内で娘が好みそうなケーキが陳列されているのを見ているうちに

『娘に買って帰ったら娘が喜ぶだろうなぁ。』と思った。

だんだん、娘が亡くなっている事が嘘みたいに思えてきて

「娘に買って帰ろう」と言う気持ちに成り、娘の分も買った。

帰宅後、直ぐにお仏壇に置いたら何で仏壇に置くんだろう?

我に返って辛くなりました。何だか嘘の世界に住んでいるみたいな感覚です。

複雑な気持ちだけど今日、ケーキ屋に行く事が出来た自分を評価したい。

娘を亡くしてからの私は人と話をしたり、コミュニケーションを取る事が出来なくなった。

ケーキ屋さんで「これ下さい」その一言さえ言う自信を無くした。

少しづつ出来る事を増やしていけばよいと思ってます。

喪失を癒す作業は人それぞれ個人差が在って当たり前だと思います。

私の場合は普通より長かったのか、短かったのか、、これも人それぞれなので分かりません。

我が子を失った私がこれからどうやって生きて行けばよいのかが分からず、

グリーフケアの本を読んだりしましたが解決方法を見出す事は出来ませんでした。

我が子の死を受け入れる事ってそんなに簡単じゃない。むしろ無理だと思ってる。

(2022年3月加筆)

喪失には悲しみのプロセスと言うものが有るらしいので簡単に記述しておきます。

1.ショック期・・ショックが大きすぎて無反応、無感覚で周りには冷静に見られてる。

あるいはパニック状態に陥る。

2.喪失期・・頭では分かっていても現実だと思えなくて

故人がまだこの世で居るかのように思えてしまう。

泣く、怒る、自分を責めてしまう、敵意さえ抱いてしまう。

3. 閉じこもり期・・頭で理解が出来てはいるものの、

自分の価値観や生きる希望が見いだせなくて無気力になり、

あの時にああすれば良かった、、こうすれば良かったと後悔をする。

4.再生期・・新しい社会関係を築こうと思えるようになる。

人との関わりが出来るようになる。

私の場合は、この15年間を振り返ると1~3がとても長く感じ2~3年は費やしました。

.の新たな社会生活を望むという面では

不妊治療に臨もうと思った事がそれに値するのかもしれません。

しかし、社会的な人との関わりが動揺も無く、普通に出来るようになったのは

4年が過ぎたころかも知れません。

それでもやはり「悲しみを乗り越える」という言葉はやっぱり違うと思っていて、

「悲しみを背負う覚悟が出来た。」と言う意味合いが大きいと思います。

一つ言える事は、数年は掛かりますが悲しみのプロセスからは必ず脱出できます。

悲しみのプロセスの間は今まで出来ていた事が出来なくなります。

個人差はあるでしょうが私の場合は本当に何も手に付きませんでした。

生き地獄の真っ最中なので出来ない事を気にする事は在りません。

家事、仕事、人付き合い等など数年間は以前の様に出来なくて当たり前です。
にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
にほんブログ村