今日は主人の仕事のお使いで1年10か月ぶりにケーキ屋に行きました。
数か月前ならどんなに頼まれても
『ケーキ屋さんなんて絶対に無理。』と断ってたけど今日は不思議と行けた。
ケーキ屋の店内で娘が好みそうなケーキが陳列されているのを見ているうちに
『娘に買って帰ったら娘が喜ぶだろうなぁ。』と思った。
だんだん、娘が亡くなっている事が嘘に思えてきて
「娘に買って帰ろう」と、娘の分も買った。
帰宅後、直ぐにお仏壇に置いたら我に返る。
何で仏壇に置くんだろう?又辛くなりました。
何だか嘘の世界に住んでいるみたいな感覚です。
娘を亡くしてからの私は人と話をしたり、会うのが嫌で
社会生活に適応出来なくなりました。
ただ今日は、ケーキ屋に行く事が出来た自分を評価したい。
娘を失ってからの私は
ケーキ屋さんで「これ下さい」その一言さえ言えなかったから。
少しづつ出来る事を増やしていけばよいと思ってます。
喪失を癒す作業は人それぞれ個人差が在って当たり前だと思います。
私の場合は普通より長かったのか、短かったのか、、
これも人それぞれなので分かりません。
我が子を失った私は、これからどうやって生きて行けばよいのかが分からず、
グリーフケアの本を読んだりしたけど解決方法を見出す事は出来ませんでした。
我が子の死を受け入れる事ってそんなに簡単じゃない。むしろ到底無理だと思ってる。
(2022年3月加筆)
喪失には悲しみのプロセスと言うものが有るらしいので簡単に記述しておきます。
1.ショック期・・ショックが大きすぎて無反応、無感覚で周りには冷静に見られてる。
あるいはパニック状態に陥る。
2.喪失期・・頭では分かっていても現実だと思えなくて
故人がまだこの世で居るかのように思えてしまう。
泣く、怒る、自分を責めてしまう、敵意さえ抱いてしまう。
3. 閉じこもり期・・頭で理解が出来てはいるものの、
自分の価値観や生きる希望が見いだせなくて無気力になり、
あの時にああすれば良かった、、こうすれば良かったと後悔をする。
4.再生期・・新しい社会関係を築こうと思えるようになる。
人との関わりが出来るようになる。
私の場合は、この15年間を振り返ると1~3がとても長く感じ2~3年は費やしました。
4.の新たな社会生活を望むという面では
不妊治療に臨もうと思った事がそれに値するのかもしれません。
しかし、社会的な人との関わりが動揺も無く、普通に出来るようになったのは
4年が過ぎたころかも知れません。
それでもやはり「悲しみを乗り越える」という言葉はやっぱり違うと思っていて、
「悲しみを背負う覚悟が出来た。」と言う意味合いが大きいと思います。
一つ言える事は、数年は掛かりますが悲しみのプロセスからは必ず脱出できます。
悲しみのプロセスの間は今まで出来ていた事が出来なくなります。 個人差はあるでしょうが私の場合は本当に何も手に付きませんでした。 生き地獄の真っ最中なので出来ない事を気にする事は在りません。 家事、仕事、人付き合い等など数年間は以前の様に出来なくて当たり前です。
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