生後9か月の息子が仏壇で悪戯

2009年12月16日

先日、早朝5時に起きた息子と遊んでた私だけど

途中で息子を放置して寝てしまったみたい(俗に言う2度寝)

2度寝の時に 亡き娘の夢を見ました。

娘に「子供は5人くらい産みなよ~お母さんが面倒見てあげるよ~」

と他愛もない事を夢の中で喋って幸せな時間でした。

しかし、夢の余韻を吹きとばす程の息子の凄い泣き声で目が覚めたわ(何事よ?!)

周りを見渡して泣き声のする方向を見たら息子が仏壇の前でギャン泣き中。

飛び起きた私は這いながら

息子の傍に行って抱き上げた(←歳のせいで急に立てると足がもつれる)

良く見ると、胸から下がびしょ濡れの息子。

↓さらに床を見るとこうなっていた訳(はっ?なんじゃこれ?)

頭にユリの花粉が付いてたからどんな遊びをしていたのか想像は付いたわ。

 娘の仏壇に供えてたカサブランカを引っ張り出した後に

花瓶を持ち上げて水を被ったんだな。9ヶ月の赤子に叱っても判る訳ないか、。

 その日の午後、

やけに静かだと思ったら旦那の仕事バッグから色んな物を引っ張り出す遊びをしてた。

仏壇の花を悪戯してる時もこんな感じだったんだろう。

後日談。

この後、赤ちゃんバリケードを設置した(思ったより設置が簡単で買ってよかった)

これで花を悪戯されたり、更にはお骨をひっくり返すと云う最悪な悪戯は防げるでしょう。

ただ、娘のご飯がとても置き難いから

娘が生きていた頃、お弁当や朝食を作り置きしてた場所に置く事にしたから

暫くここに置いて様子を見よう。

 娘は、「おかあさ~ん、これってYちゃんのご飯?食べてもかまん~?」

と、いちいち訊いてから食べる子でした。

一人っ子なんだから娘以外のご飯なんて有り得ないのに不思議といつも訊いてきました。

だから今日は声を出して言った。

「Yちゃ~ん、ご飯は台所にあるから食べなよー」

生きてる娘に言いたい言葉だ。

来年は亡き娘の成人式

2009年12月14日

娘が生きていれば1か月後に成人式を迎えます。

最近、娘の中学時代の同級生から2本の電話がありました。

1本目は 亡き娘の写真と共に成人式に参列したい。との申し出。

2本目は 同級生らで亡き娘にお参りさせて貰いたい。との申し出。

娘の事を想って申し出てくれた同級生の気持ちがとても有難かった。

娘の事を忘れないでいてくれて有難い気持ちでいっぱいに成った。

しかし私は、この2本の電話の申し出をお断りして仕舞いました。

未だ社会的な適応が出来ない私が、

晴れて成人式を無事迎えられるお嬢様方を目にするのが辛過ぎて

笑顔でお茶を出したりお持て成しをする自信が無かったから。

何より彼女らが帰った後にどんな気持ちに成るのか察しが付いたのも在る

家の娘だけが取り残された気分になり、可哀想で堪らなくなるのが分かりきってた。

「お参り」や「写真だけでも成人式」

娘を想ってくれた気持ちはとても嬉しくて感謝しか在りません。

でも、今はどうしても無理なので無礼をお許しください。

本当なら娘も同級生らと振袖を着て出掛ける筈だった無念さが勝ってしまいました。

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3年ぶりに娘のアルバムを開く

2009年12月8日

今日は娘が6歳頃の事を思い出して泣いた。

娘が5~6歳頃の私は、今の会社を始めたばかりの旦那を手伝う為、

長年続けた美容師を辞めて土木工事を手伝ってました。

コンクリートが乾きにくい冬場はコンクリートの͡コテ押さえをする為に

夫婦で工事現場へ出かけた事もあったっけ。

幼い娘を一人家に残して留守番させる事は不用心だから

目の届く車中で1時間くらい待たせてました。

車の中で大人しく待っててくれて聞き分けのいい素直な子でした。

帰りは夜中になり、帰り道に寝てしまった娘の寝顔を思い出した。

当時も思った事だけど、健気な娘が凄く可哀想に成った。

もっと大事にして、もっともっと甘やかせてあげれば良かった。

今日は娘の死後、見るのが辛くて2階の納戸に仕舞い込んだ

娘のアルバムを1冊だけリビングに持って降りた。

手に取った瞬間から涙が出る。

無造作に手に取ったアルバムは丁度5~8歳位の写真を収めた物でした。

3年ぶりにアルバムを開くと涙が止まらなくなった。

あれ程帰りを待ち続け、ずっと逢いたかった娘には写真でしか逢う事が出来なくなった。

この子が17歳で死んでしまうなど、想像した事も無かった。

何でこんな事に成って仕舞ったのか、考えても考えても納得がいかない。