1歳で行楽デビュー

2010年4月24日

昨日は保育園の親子遠足でした。

息子は産まれてから今まで小さな公園さえ連れて行って無かったから

今回の遠足で行楽デビューって訳。

しかも旦那が遠足に付いて来るって言い出したから

夫婦で行楽レジャーするのも娘を失って以来初めて。

でも、弁当要るんだよな、、

娘を失ってから旦那の朝食さえ まともに作れなくなった女が

朝から行楽弁当を作れると思う?(←朝からは無理。でも前夜からなら何とかなる)

↓ だから、おかずはぜんぶ前日の夜に作った。

肝心の遠足は、曇り空で気温も低く、すごく寒かった~

 ↓ 頼みもしないのに仕事を休んでまで着いて来た旦那と自然を散歩中

遠足で見た風景が曇り空で薄暗く、綺麗過ぎなかったから助かった。

「空」なんてどれ位ぶりに眺めただろう。

青い空や青い海を見るのは、どうも苦手になりました。

この日、晴れていて

真っ青な空や太陽に照らされてキラキラ光る青い海を見たら

今ここに娘が生きてない事が許せなくて私は泣いてただろうな。

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亡き娘を仏さんと、、

2010年3月24日

今朝、旦那が2千円を差し出して来たので「何?」と訊いたら

先日ゴルフ場でバッタリ会った知人から

「仏さんに花でも買ってあげてくれ」と2千円を差し出されたそう。

私の娘が仏さん?

娘の死を気にかけてくれた気持ちがとても有難かったけれど

「仏さん」と言う言葉に過敏に反応して仕舞い、掃除をしながら朝から泣いた。

他人から見れば娘は既に「仏さん」なんだな、、と思い知った。

ただ、私にとっての娘はこの先もずっとずっと「家の〇〇ちゃん」でいて欲しい。

追記。

先日、息子が早く寝た上に旦那も留守。

あの日から3年3ヶ月も娘に逢えない日が続き、

無性に娘の顔が見たく成るも、もう一生 写真でしか逢えない。

沢山あるアルバムのうち、1冊目のアルバムは過去に開いた事があるけど

泣くばかりで心が折れて仕舞い、2冊目のアルバムを開く事が出来ないままだった。

先日、やっと2冊目のアルバムを2階の物置から持って降りた。

でも又だ、。  手に取った瞬間から涙が出る。

娘を抱っこする様にアルバムを持ち、泣きながらリビングに持って来た。

今夜手に取ったアルバムは1~2歳の時の写真を納めてた。

アルバムを見ながら更に涙が流れる。

「この子が居なくなったら私は絶対に生きていけない。」

私も世間の親と同様に 幼い娘の寝顔を眺めていつも思ってた。

そんな幸せだった頃を思い出すと頭と心が壊れそうに成った。

私もいつか一生を終えます。

その時が来たら、先に逝って仕舞った娘の傍に真っ先に行きたい。

その為にはこの世で徳を積んで行くしかないと考えてます(⋆良い行いを重ねる、善行)

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娘の他界後から祖母に逢いに行けなかったら、、

2010年1月18日

昨日は2年前に他界した祖母の法要でした。

祖母は娘が他界した1年後に他界したんだけど、引篭もり中だった私は

大好きだった祖母のお葬式に出席してません。

当時の私は「娘を亡くした苦しみ」以外は何も感じてなくて

あれ程大好きな祖母が死んだのに、

悲しさや寂しさの感情が全く感じられない上に

外に出て人に逢うのがとても怖かったから。

今も人間恐怖症で引き篭りがちな私なので

「姉ちゃん、明日の法事に〇〇(←息子)だけでも私が連れて行こか?」と

妹が訊いてくれたけど、

未だ1歳前の息子の面倒などで妹に負担を掛けたくなくて

私も祖母の法事に出席する事にした。

婆ちゃんに最後に逢ったのは娘が亡くなる1ヶ月前だったな。

温ったかい毛布と氷川キヨシのカレンダーをプレゼントして

「婆ちゃん!また来るけんな!」そう約束したのに

娘の死を境に逢いに行けなくなり、3年ぶりに逢った祖母はもう遺影に成ってた。

神も仏も信じられなく成ってた私は、

仏壇の前に座る事も手を合わす事も出来ず、隅っこで座ってました。

息子も姪っ子の傍で大人しくしてました。、、が!

お坊さんが説教してる最中に座敷の中央に這って行き、

「ひとりハクションごっこ」を始めたからビックリしたわ。

(↑くしゃみの真似をして1人でウケて笑いながら拍手する遊び)

婆ちゃんが、「もっとそばに来て顔を見せろ」って手招きしたのかも?と思った。

ずっと私を心配してくれていた親族が私の顔と息子を見て安心してくれた様で

勇気を出して法事に出席して良かったと思う。(妹には大感謝)

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1月に夭折した娘の命日が近づくと、、

2010年1月12日

1月に入り、いつもに増して気分が重い。

年末にそこらじゅうからカレンダーを貰ったけど

1本だけ残し、残りは全部捨てた。

1月の暦は特に見たくないから広げる気にも成らなくて

取って置いた1本のカレンダーは未だ 丸めたまま旦那の事務所で放置してます。

今年の1月23日が何曜日なのかを知りたくないし、

あの忌まわしい日を確認するのが怖くて仕方がない。

私の命より大事な娘が

命を落とす程の痛みで死んでしまった日など

カレンダーから消えて欲しいと思う。

少し前、顔面に息子の頭突きをくらって涙が出るほど痛いと感じた。

でも、娘はこんな痛みに値しない強い衝撃を顔面に受けて命を落としました。

可哀想過ぎて心底遣り切れない。

そういえば成人式の日の翌日は

テレビや新聞では新・成人のニュースで賑わってるだろう。

テレビは土曜日から観てないけど暫くテレビも新聞も観ません。

自分にとって1番可愛い娘が成人出来なかった今、

他所の子の成人を心から祝えない自分が嫌に成る。

世間の賑やかな情報は不要で静かに過ごしたい。




来年は亡き娘の成人式

2009年12月14日

娘が生きていれば1か月後に成人式を迎えます。

最近、娘の中学時代の同級生から2本の電話がありました。

1本目は 亡き娘の写真と共に成人式に参列したい。との申し出。

2本目は 同級生らで亡き娘にお参りさせて貰いたい。との申し出。

娘の事を想って申し出てくれた同級生の気持ちがとても有難かった。

娘の事を忘れないでいてくれて有難い気持ちでいっぱいに成った。

しかし私は、この2本の電話の申し出をお断りして仕舞いました。

未だ社会的な適応が出来ない私が、

晴れて成人式を無事迎えられるお嬢様方を目にするのが辛過ぎて

笑顔でお茶を出したりお持て成しをする自信が無かったから。

何より彼女らが帰った後にどんな気持ちに成るのか察しが付いたのも在る

家の娘だけが取り残された気分になり、可哀想で堪らなくなるのが分かりきってた。

「お参り」や「写真だけでも成人式」

娘を想ってくれた気持ちはとても嬉しくて感謝しか在りません。

でも、今はどうしても無理なので無礼をお許しください。

本当なら娘も同級生らと振袖を着て出掛ける筈だった無念さが勝ってしまいました。

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