時が止まったまま

グリーフワーク

2011年12月

何年振りに成るかな、母と一緒に叔父の家に出向きました。

たまたま家に居合わせた叔父の娘Aちゃん(いとこ)にも逢えたので軽く挨拶。
Aちゃんは24歳位。叔父の結婚が遅かったため従妹は家の娘と2歳しか変わりません。

想像以上に綺麗になったAちゃんと娘を重ねて見てしまい、

「本当なら本当なら家の娘も、、」という感情に押され、目から涙が溢れそうになりました。

この場で泣くわけには往かない。そう思い、必死で泣くのをこらえました。

夜は、17年しか生きられなかった我が子が不憫で泣きました。

時を戻してほしい。娘の命を返して欲しい。

2011年クリスマス前の事

おととい、デュークショップから娘宛にダイレクト葉書が届きました。
音楽や映画が好きな子だから会員登録していたのでしょう。

以前にも届いた事はあるけれど、まるで今も生きてるかのように
娘の名前が書かれたDMを見ると辛くていつも破棄してました。
何故か今回は、捨てる事が出来ず、仏壇に置いてみました。

生身の体で娘が再びデュークショップに買い物に行ける筈がないけど
葉書に記された娘の名前に重みを感じました。

もう何年娘の名前が記された紙を見てないだろうか。
何年娘の名前を書いてないだろうか。娘がこの世を去って5年が来ようとします。
昨日の事みたいなのに もう5年?

当時は娘が居ないこの世界で、私だけが5年先も生きてくなんて考える事さえしなかった。

 娘の居ないこの世で生き続けている自分の未来を想像するのが怖かった。

娘の居ない未来そのものが恐怖で来る日も来る日も1日を生きるのが精一杯でした。
生きてるのが苦痛だから1日がものすごく長くて外が真っ暗に成るとホッとしてました。

このまま夜が明けなければ良いのに、、ずっと真っ暗闇のまま世界が終われば良いのに。と思ってました。

 ある海外ドラマで云ってました。
親をなくしたら「遺児」という言葉を使い、連れあいを亡くしたら「ヤモメ」という。でも、子を亡くしたら、「その言葉が無いんだ。」と云ってました。

2011年クリスマス

娘が居なくなってからのクリスマスや正月はどうでも良くて、ただただ苦しいだけでした。
でも、息子も色々(行事ごとが)分かり出したので今年は出来る限りやってみました。

25日は 甥と姪を招いてキムチ鍋を振る舞いました。

甥っ子に「遠慮せんと沢山食べな」と声を掛けたらホントに遠慮しなかったわ。

可愛い奴です

この年は娘が居なくなってから初めてクリスマスケーキを買った冬でもあり、

妹親子たちと一緒に食べました。

そして、もう2度とクリスマスツリーを飾る事は無いと思ってたのにツリーも飾った。

息子は、自分が生まれる前に姉が居た事を
未だ知りません。今言っても理解出来ないでしょう。
息子へのクリスマスプレゼントは
大き目ブロックのレゴブロックが特にお気に召したようです。

亡き娘が夢に出て来たら

2010年10月8日

2週間前、近所のお宅へ用事が在ってチャイムを鳴らしたら

玄関に出てきたのは娘さんでした。

近所の娘さんは 亡き娘より1歳年上で随分見ないうちに

すっかり大人に成って綺麗になっていて、

生きていれば家の娘も、こんな風だったかな、、。と想像してしまう。

昼間だけは、なるべく泣かない様に心掛けていたけど糸が切れたみたいに泣いてしまった。

その数日後に娘の夢を見たら17歳だった娘があの世でも成長していて

21歳に成ってました。

で、「本当は死んでなかった。」と娘が言うんです。

私:「死んでなかった」って言うけど、朝起きたらやっぱり夢だったって事になるんやろ?

娘:「絶対にそれはない。」 

私:「うん、わかった。この4年の間、何処で何して過ごしていたのか教えてよ」

21歳の娘と夢の中で一緒に過ごした時間は怖い位に幸せだったけど

夢から覚めたらやっぱり夢だった。こういう日は1日中 駄目なんだ、、

もう1度夢の中に戻り、「帰って来て欲しい」と娘に伝えたくて

泣いてばかりの1日だった。

21歳の娘は、セミロングで内巻きの清楚な髪型で白のワンピース姿。

顔はぼやけててはっきり分からず、体型はすらっとした感じ。

目覚めた時の現実は言葉で表現できる様な辛さでは無い。

息をする事さえ我が子に申し訳ない程の喪失感に襲われる。

だけど、、だ。

夢でしか逢えないなら毎晩亡き子の夢を願う母心です。

死んで仕舞った我が子が「死んだのは嘘で本当は生きてたよ~」って夢は、

子を亡くした親には在るらしいね。

夢じゃ無く、現実なら天と地がひっくり返る程嬉しいのに。

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父の誕生日祝いで4年ぶりの焼肉屋

2010年9月21日

昨夜は父の誕生日のお祝いに近所の焼肉屋に出掛けました。

去年の父の誕生日は、私が未だ人間恐怖症で外食が苦手だったから

我が家でしゃぶしゃぶを用意してお祝いしたけど

今年は勇気を出して焼肉屋の外食に挑戦した。

焼肉屋なんて娘を亡くして以来初めてだから約4年ぶり。

焼きたての肉ってこんなに美味しかったっけ?生まれて初めて焼肉食べた感覚だわ。

焼肉屋のあとは我が家で締めのケーキ。

お父さん62歳おめでとう。

私が10代の頃は心配ばかりかけて毎日の様にお父を激怒させてたね。

30代では子供を失って鬱になった私を静かに見守ってくれて有難う。

面と向かっては照れくさくて絶対に言えないけど

これからもお父さんの誕生日をずっと祝いたいから長生きしてね。

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予知夢のような悪夢

2010年9月18日

悪夢にうなされて汗だくで目覚めるシーンをホラー映画でよく見かけるけど、

私も似た様な経験を娘が亡くなる1ヶ月前に経験してます。

余りにも恐ろしすぎる夢だったせいで詳しいビジョンを思い出せないけど

娘がオートバイの交通事故に遭遇した後、

悪魔か獣の様に真っ黒な山猫が我が家から北西の方向へ笑いながら飛び去って

消えた事を覚えています。

兎に角、真冬なのに汗だくで目覚めて、

明らかに寒さのせいではない震えで目が覚めました。

そんな夢を見たのは生まれて初めてで本当に恐ろしい夢でした。

怖い夢を見たのが明け方だったから 起きて直ぐに娘の部屋を覗き、

娘がベッドで眠ってる事を確認しました。

娘の無事な姿を見て「夢で良かった~」と安心した事を今でも覚えてます。

だけど、その1ヶ月後に起きる悲劇など想像できませんでした。

「夢で良かった」ただそれだけで済ませた事を後悔しています。

後で考えると、我が家の北西は娘がが命を落とした方角でした。

あの夢は一体何だったんだろうか、、と今でも思い返す事があります。

とうとう頭が、、という感覚ですが、私は正常です。

でも人に喋ったり相談出来る事ではない。

詳しく書くなら、画像の様に普段は鳩が整列している我が家の屋根ですが、、

娘が亡くなる少し前に鳩ではなくカラスが一列に並んでいたのを思い出します。

当時、不気味な感じはしたけど まさか娘が事故で亡くなる等、考えもしませんでした。

また、愛猫をハーネスで散歩させることが日常だったけど、

ある時、猫が北西の方角に驚いた様子で

突然威嚇し始めて反対方向に走り逃げた事も在った。

愛犬が娘を見て異様に吠える日も在り、

誰も居ない庭で散歩も餌もあげてるのに異様に吠える日も在ったけど、

それでも気がつかなかった。まさか?とも思わなかった。

すべては娘が亡くなる2か月以内の事です。

変だと思っても「我が子の死」と言う様な現実離れしすぎた事は想像できませんでした。

かつて私も、他の母親と同じように「まさか自分の子供が死ぬ筈が無い」と信じていました。

あの時、奇妙な夢を見た事を誰かに相談していれば防げたかもしれない。

あるいは、何かの警告だったのでしょうか。

娘が命を落としてからずっと考えています。

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1歳で行楽デビュー

2010年4月24日

昨日は保育園の親子遠足でした。

息子は産まれてから今まで小さな公園さえ連れて行って無かったから

今回の遠足で行楽デビューって訳。

しかも旦那が遠足に付いて来るって言い出したから

夫婦で行楽レジャーするのも娘を失って以来初めて。

でも、弁当要るんだよな、、

娘を失ってから旦那の朝食さえ まともに作れなくなった女が

朝から行楽弁当を作れると思う?(←朝からは無理。でも前夜からなら何とかなる)

↓ だから、おかずはぜんぶ前日の夜に作った。

肝心の遠足は、曇り空で気温も低く、すごく寒かった~

 ↓ 頼みもしないのに仕事を休んでまで着いて来た旦那と自然を散歩中

遠足で見た風景が曇り空で薄暗く、綺麗過ぎなかったから助かった。

「空」なんてどれ位ぶりに眺めただろう。

青い空や青い海を見るのは、どうも苦手になりました。

この日、晴れていて

真っ青な空や太陽に照らされてキラキラ光る青い海を見たら

今ここに娘が生きてない事が許せなくて私は泣いてただろうな。

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