2010年3月24日
今朝、旦那が2千円を差し出して来たので「何?」と訊いたら
先日ゴルフ場でバッタリ会った知人から
「仏さんに花でも買ってあげてくれ」と2千円を差し出されたそう。
私の娘が仏さん?
娘の死を気にかけてくれた気持ちがとても有難かったけれど
「仏さん」と言う言葉に過敏に反応して仕舞い、掃除をしながら朝から泣いた。
他人から見れば娘は既に「仏さん」なんだな、、と思い知った。
ただ、私にとっての娘はこの先もずっとずっと「家の〇〇ちゃん」でいて欲しい。
追記。
先日、息子が早く寝た上に旦那も留守。
あの日から3年3ヶ月も娘に逢えない日が続き、
無性に娘の顔が見たく成るも、もう一生 写真でしか逢えない。
沢山あるアルバムのうち、1冊目のアルバムは過去に開いた事があるけど
泣くばかりで心が折れて仕舞い、2冊目のアルバムを開く事が出来ないままだった。
先日、やっと2冊目のアルバムを2階の物置から持って降りた。
でも又だ、。 手に取った瞬間から涙が出る。
娘を抱っこする様にアルバムを持ち、泣きながらリビングに持って来た。
今夜手に取ったアルバムは1~2歳の時の写真を納めてた。
アルバムを見ながら更に涙が流れる。
「この子が居なくなったら私は絶対に生きていけない。」
私も世間の親と同様に 幼い娘の寝顔を眺めていつも思ってた。
そんな幸せだった頃を思い出すと頭と心が壊れそうに成った。
私もいつか一生を終えます。
その時が来たら、先に逝って仕舞った娘の傍に真っ先に行きたい。
その為にはこの世で徳を積んで行くしかないと考えてます(⋆良い行いを重ねる、善行)
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