保育園の発表会は「家の子1番!」っと

2012年12月9日

先日、保育園で生活発表会がありましたよ。

きっと どの親も思う事は同じだろうだけど 

「自分の子供が1番かわいい~」←息子ラブで息子が大好きなの~♡

とか思いながら どの親も我が子を撮りまくった筈(←私もな)

家では見せない素振りが垣間見れて子供の成長を実感出来ました。

追記。

家の子のマイブームはジブリ映画だけど、

トトロやポニョ以外に「火垂るの墓」も気に入ってる。

あの様な事が本当に日本で起きていたんだと考えると

戦後に生まれてきた自分は恵まれていると実感。

小さな息子には理解が難しいと思ったけど息子にもっと戦争の恐ろしさを見せたくて

「はだしのゲン」実写版DVDをレンタルしてきたら

深くは解ってないけど気に入って何度も観てます。

このドラマの最後に「千の風に乗って」という歌が流れるんだけど私はこの歌が苦手。

歌が流れてる間、出来るだけ泣かないように頑張ったけど、

生前の娘が頭に入ってきて息子の前で号泣してしまう。

息子:「ママー、何で泣っきょるん?」

娘を失って ”もう6年”なのか、”まだ6年”なのか分かりません、

娘が生きていたら息子は生まれていない筈だけど、どんな暮らしをしたただろうか。

もっと娘に優しくしてあげて旅行や遊びに沢山連れて行ってあげればよかった。

娘が交通事故で命を落とした日の事は思い出すのがキツいけれど

頭の中にはいつもある。

一生悔やんでも悔やみきれない人生最悪の日だ。

次回からは家の近くで運転免許の更新を

2012年3月1日

2月末、娘を亡くして以来2度目の運転免許更新に行きましたよ(自宅から遠い)

今回の免許写真は前回の更新時に比べたら まともに撮れたと思う。

5年前に更新した時は娘を亡くしたばかりで

ボロボロの幽霊状態だったからな(←免許証に心霊写真が写りこんでるのかと思った)

今回の更新講習も交通違反が無かったから30分(←引き籠りだし違反の仕様がない)

ただ、30分の講習中、

講師が やたらと「交通死亡事故」「死者」「事故死」を連呼するから苦痛で仕方なかった。

終いには平成19年度の死者数は~と言い出す始末。

その1名の中に家の子が入ってますから。

辛抱の限界に成り、講習の途中でシクシクと泣きだしてしまった私は

講習が終わったら逃げる様にして泣き腫らした顔で帰宅。

朝早くから遠出してほんと疲れた。

2022年5月加筆

香川県の中讃地区に住んでいれば高松市まで行かなくても

善通寺免許センターで更新が出来る事を知りました←通知はがきの裏に書いてた。

朝8時半に受付を済ませる必要が在るけど何といっても自宅から近いし、

高松市郷東町の免許センターよりずっと空いてた。

ただし、予め電話予約が必要。

予約と言っても講習希望日を伝えるだけで簡単に予約できるから

今後は善通寺免許センターで更新しよう。

受講した日に新しい免許証交付はしてもらえないけど

郵送料を含む手数料1000円程度を支払えば

後日に新しい免許証を自宅まで郵送で届けて貰えます。

手数料が勿体ない人は後日、もう1度免許センターに取りに行けば良い。

新しい免許証が届くまでは穴あけパンチされた過去免許証を使えるから助かりました。

時が止まったまま

2011年12月28日

今日は母と一緒に叔父の家に行ってきた。

叔父の家なんて何年振りだろうか、、

たまたま家に居合わせた叔父の娘(Aちゃん24歳)にも逢えたので軽く挨拶。

叔父の結婚が遅かったからAちゃんと家の娘は2歳しか歳が変わりません。

想像以上に綺麗になったAちゃんを見た瞬間、

「本当なら本当なら家の娘も、、」という感情で泣きそうになった。

その場で泣くわけには往かないから必死で泣くのをこらえた。

夜に成って17年しか生きられなかった娘が不憫で泣いた。

「時間を巻き戻したい」と、どれ程願っただろうか。

事故に遭う3秒前までは死とは無縁だった娘の命を返して欲しい。

2011年クリスマス前の事

クリスマス前にデュークショップから娘宛にダイレクト葉書が届いた。

音楽や映画が好きだったから会員登録していたらしい。

以前に届いた時は、

まるで今も生きてるかのように娘の名前が書かれたハガキを見るのが苦痛で破棄しました。

今回は何故か捨てる事が出来ず仏壇に置いた。

生身の体で娘がデュークショップに買い物に行く事は叶わないけど

葉書に印字された娘の名前に重みを感じた。

娘がこの世を去って5年が来ようとします。昨日の事みたいなのに もう5年?

娘を失った当時は、

娘が居ないこの世で自分だけが生き続ける未来を想像するのが怖かったから

未来を考えないようにしてた。

それは娘の居ない未来そのものが恐怖でしか無かったし、

来る日も来る日も1日を生きるのが精一杯だったから。

生きるのが苦痛だから1日がものすごく長く、外が真っ暗に成ると

「このまま夜が明けなければ良い、ずっと真っ暗闇のままで地球が滅亡すれば良いのに」

と思ってた。

 ある海外ドラマのセリフが頭から離れない。

『親を亡くしたら「遺児」という言葉を使い、連れあいを亡くしたら「ヤモメ」という。

でも、子を亡くしたらその言葉が無いんだ』

2011年のクリスマス

娘が居なくなってからのクリスマスや正月はどうでも良くて、ただただ苦しいだけだった。

でも息子が成長するにあたり、行事が分かり出したので今年は出来る限りやってみた。

25日は 甥と姪を招いてキムチ鍋を振る舞いました。

甥っ子に「遠慮せんと沢山食べな」と声を掛けたらホントに遠慮しないで全部平らげた。

可愛い奴だ

そして娘が居なくなってから初めてクリスマスケーキを買い、妹親子と一緒に食べた。

そして、もう2度とクリスマスツリーを飾る事は無いと思ってたのにツリーも飾った。

息子は、自分が生まれる前に姉が居た事を未だ知りません。

今言っても幼すぎて理解出来ないでしょう。

息子へのクリスマスプレゼントは
大き目ブロックのレゴブロックがお気に召したよう
にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
にほんブログ村 広告
【おしゃれ・高級感・大人可愛いツリー】 大型 クリスマスツリー リアル 210cm 単品 おしゃれ 北欧 大きい キングピークツリー もみの木

亡き娘の事をグーグルで

2010年8月10日

薄情な母親だと感じる方も居るかもしれませんが

私は亡き娘の事故現場に1度も行った事がありません。

事故現場を見たら正気を保つ自信が私には在りませんし、

娘がどれ程の痛みを感じたのかを確認するのが怖いからです。

「きっとあの辺りだろう。」という憶測だけです。

旦那は場所を知ってるでしょうが怖くて聞けないし、

訊いた所で、それらの事を旦那に説明させるのも辛い。

昨夜、お盆でどのみち気持ちが落ちていたので娘に関する2つのキーワード単語を入れて

グーグル検索し、見た瞬間 また死にたくなった。

ニュース記事風のブログや2ちゃんねるの様な掲示板サイトなどが出て来た。

見るのが怖くてクリック出来ずにいたけれど

結局10分後にその記事を読んでしまった。

記事を読んだ瞬間に当時に戻ってしまう。

ひとごとだと思って書き込みしている無神経な書き込みコメントには

何でこんな酷い事を書きこめるんだろうと思った。

丁寧に写真まで載ってたけど、どんな気持ちで人の娘の記事を書いたんだろうか。

掲載写真の折れ曲がった鉄柱が憎らしかった。

なんでそんな場所に鉄柱があったのかな、もう少しずれてたら命が助かってたのに、、

パトカーに静止を求められて数分も経たない間に命を絶たれた娘。

昼間の仕事で疲れていても毎日頑張って通ってた定時制高校。

学校の門を出て直ぐの一旦停止表示を見落として一旦停止を怠り、

パトカーの静止に直ぐに応じなかった娘に過失が在る。

でも、1分以内でパトカーを振り切ろうとした事をどこで証明できるのでしょうか。

パトカー追跡中の事故は全て一緒くたにされ、娘が逃げた様に報じられてた。

真冬の暗闇から急に追いかけられたら

どんなに怖くてびっくりさせられるか考えた事がありますか?

書き込みした人に問いたい。

家の子は死んで当然なんですか? もし、あなたの子供なら平気ですか?

私でも動揺して直ぐには止まれないかも知れないのに娘は未だ17歳の女の子。

「暗闇で隠れて取締りをする」のは正当なのかな?


            

子供を亡くすと過保護で心配性になる

2010年8月3日

先日、子供が犠牲になった痛ましいネットニュースを読んでたら泣いてしまった。

全く知らない他所の子の為に涙を流したのは久しぶりで

確か3歳と1歳が餓死と書かれていた。

余りにも不憫で可哀想で涙が止まりませんでした。

若年離婚して養育費も受け取らず、

ワンオペで子育てをしていた母親の苦労は人並み以上だったと伺えるが

育児放棄をした挙句、かけがえのない小さな命を奪った罪は一生背負って生きて欲しい。

自分の子供ってこんなに可愛いのにな、、、

息子の寝顔を見ながら夜中にもう1度泣いた。

昨日、親友の典子が地元で有名なクロワッサン餃子を差し入れてくれました。

この餃子を買うために3か月も待つんだって~、食べてみると確かに美味しいわ。

典子は定期的に何かと差し入れをしてくれて、

2~3分だけの玄関での会話だけど、心配して顏を見に来てくれたんだな、と思う。

「声が元気そうに成ってて良かった~」典子が云う言葉には全然腹が立たなかった。

彼女自身、中学生の頃に兄を失った過去があったそうです。

娘を失うまで知りませんでした。

20年以上も親友だったけど亡くなった兄の事を伏せていた彼女。

子を喪った自分の母親の姿を見てきた彼女だからでしょうか。

彼女なりの励まし方で此処まで私に付き合ってきてくれてました。

そういえば、

典子のお母さんが昔から異常な位に心配性だった事を不思議に思ってた事が在って

心配性な理由が最近になって初めて分かった。

私も極度の心配性で過保護な親になりました。

世間では私の様な親を 親バカと云うらしいけど、

そんな生易しいレベルなんて通り越してる。

兎に角、「子供の身に何か在ったら!」と日々想像してしまうから

子供が傍に居ないと恐ろしくて仕方がない。