13年目の命日を静かに過ごす

2020年1月29日

1月23日は たったの17歳で娘がこの世を去った日。

世間では「命日」と言うけれど、私はあまりこの言葉を使いたくない。

『我が子の死や命日』を経験する人は殆ど居ない今の世の中なので

自分の辛さを理解して貰えない事が多い。

娘を亡くして1~2年は言葉では表現できない程に苦しくて歯痒くて

『何故家の子が?私も直ぐに死にたい。』と言う気持ちしかありませんでした。

今年で13年目です。時の流れと言うものは薬なのでしょう。

苦しみに慣れて来たのか「なんで家の子が?」と疑問に感じる事に変わりないけど

『元の姿で帰ってきて欲しい』と言う願いが

だんだんと諦めに変わってきて静かに涙を流して過ごしました。

法要などはした事が有りません。世間の常識では行うのでしょう。

我が家の場合では、

娘が死んで13年ごときで娘の死を真正面から受け入れる事が出来ないから

身内を呼んで思い出話とか、お膳を食べる気持ちには到底成れない。

一人で静かに娘の成仏を願うのが精一杯の命日でした。

今年の命日の日も、娘が亡くなる数分前まで一緒に居た友達のYちゃんが

娘の仏壇に手を合わせに来てくれました。

13年経っても1月23日には当時の事を思い出し、

娘を忘れないで居てくれる事が有難かった。

Yちゃんが「お母さんが私を受け入れてくれる様になって嬉しい」と言ってくれた。

当時の私がYちゃんに向かって何を言ったのか覚えてないけど、

私はYちゃんに向かってクソカスに言ったらしいです。

それが当時の私。

今、私が娘の友達に歩み寄れたのは時の流れなのだろう。

1月には結婚記念日もあったけど、

娘を失ってから1度も祝った事が無いし、祝う気も更々無いから

結婚した日など忘れてしまったかの様に過ごした。

私はこの様にして あと何年生きるのでしょう。

手の掛かりすぎる息子を残して死ぬのが怖いと思う事も在れば

完全に育児に疲れ切ってもう死んでも良いわ。と投げやりになる日もある。

私にとって「育児に疲れた」など、贅沢な悩みだ。

どれだけ息子に生きる事を助けられた事か。

普通の子に比べて多少の取り扱いが難しい息子だけど健康で丈夫。

今、私と共に生きてくれてる事に感謝して残った人生を息子の為に費やそう。

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