2008年11月10日
私は娘を亡くしてから朝に起きる事が出来なくなり、昼まで寝込む事が多い。
娘が生きていた頃は早朝から起き、
家事や仕事に励んでいたので時間が幾らあっても足りない程でした。
今ではテレビや新聞も見ない様になり、
車の運転中に聴いてたカーオーディオも聴かなくなりました。
テレビから聞こえてくる楽しそうな声を聞くのがとても苦痛で成らない。
刺激のない静かな空間で過ごしたいと望むようになりました。
まだまだ現実を受け入れる事が出来ない。
(2022年3月加筆)
親の場合は勿論ですが、夫婦の場合でも早かれ遅かれ、
どちらかが先に亡くなる事への心積もりが在るのが普通です。
ただ、その対象が我が子となると、
この平和な世の中で「親より先に子が亡くなる」という
心積もりをしてる人は先ず居ないと思います。
何より、子供を亡くす経験した人は身近では殆ど居ない世の中です。
経験した事のない人達からの励まし言葉は反って辛くなる事が多い。
当初は社交辞令的な励まし言葉に傷つき、何度も泣きました。
代表的な言葉は
「早く元の様に元気に成ってね」「いつまでも泣いてたら娘さんが悲しむよ」
「もう帰って来ないんだから」等、。やっぱり分かって貰えないんだな。と思いました。
確かに、慰める立場目線だと「元気に成って欲しい」気持ちが1番強いから
双方の気持ちが食い違うのは仕方のない事。
子供を亡くして 数年間の親は元の自分に戻る事を願っているのでは無く、
『元の姿で我が子を返して欲しい』 その願いしか無いのです。
当時の私は 『ずっと泣き続けて居れば誰かが私のもとに娘を元の姿で返してくれるんじゃないか』 そう思い込んでいて、娘が亡くなった事をずっと認める事が出来ませんでした。 当然ですが、いくら月日を費やしても願いが叶う事はありません。 だからとても辛いのです。 とてつもない月日の経過と共に だんだんと諦めに代わっていった。
私の場合はウェブ上で同じ境遇の方のブログを探し、連絡を取り合いました。
励ましあったり慰めあったり、互いに気持ちを共有する事で
自分なりのグリーフケア(喪失を癒す方法)を見つけた気がします。
ブログを通じてメッセージ交換をする事で、
私もこの方たちと一緒に頑張って生きて行かなくては。と思うようになりました。
我が子を失う経験から何年も経過してる方からは
貴重な意見や励ましを貰う事で とても助けられました。
こんなに苦しいのは自分ひとりじゃない。
私の他にも同じ様な悲しみを背負っている親御さんが居る事を知りました。
だからもし、周りの人が気持ちを聞き入れてくれるなら 自分が生きている事さえ苦痛な気持ちを理解してほしかった。 この辛さを理解しようとしてくれるだけで良かった。 何も出来なくなってしまった事は自分でも解って居るのに 追い打ちの様に「頑張れ」という言葉を掛けられるのが苦痛だった。 生き甲斐を失った私が何を頑張るのよ。
当時の私は、友人への対応が悪かったのもあり、
『今は、そっとして置こう』→『もう、永遠にそっとして置こう』
と、いう流れで離れて行った友人が殆どです。
それでも、私の気持ちを理解してくれた友人は
玄関先で二言、三言かわすだけの挨拶だったけど
「御供」と書かれた菓子折りを持って来ずに、元気だった娘への差し入れの如く
定期的に美味しそうなお菓子や食材を持ってきてくれて、
今でもお付き合いしています。
気難しくなった私を見捨てずに
ずっと気にかけ続けてくれた友人は一生大事にしたい親友だと思っています。