2011年12月28日
今日は母と一緒に叔父の家に行ってきた。
叔父の家なんて何年振りだろうか、、
たまたま家に居合わせた叔父の娘(Aちゃん24歳)にも逢えたので軽く挨拶。
叔父の結婚が遅かったからAちゃんと家の娘は2歳しか歳が変わりません。
想像以上に綺麗になったAちゃんを見た瞬間、
「本当なら本当なら家の娘も、、」という感情で泣きそうになった。
その場で泣くわけには往かないから必死で泣くのをこらえた。
夜に成って17年しか生きられなかった娘が不憫で泣いた。
「時間を巻き戻したい」と、どれ程願っただろうか。
事故に遭う3秒前までは死とは無縁だった娘の命を返して欲しい。
2011年クリスマス前の事
クリスマス前にデュークショップから娘宛にダイレクト葉書が届いた。
音楽や映画が好きだったから会員登録していたらしい。
以前に届いた時は、
まるで今も生きてるかのように娘の名前が書かれたハガキを見るのが苦痛で破棄しました。
今回は何故か捨てる事が出来ず仏壇に置いた。
生身の体で娘がデュークショップに買い物に行く事は叶わないけど
葉書に印字された娘の名前に重みを感じた。
娘がこの世を去って5年が来ようとします。昨日の事みたいなのに もう5年?
娘を失った当時は、
娘が居ないこの世で自分だけが生き続ける未来を想像するのが怖かったから
未来を考えないようにしてた。
それは娘の居ない未来そのものが恐怖でしか無かったし、
来る日も来る日も1日を生きるのが精一杯だったから。
生きるのが苦痛だから1日がものすごく長く、外が真っ暗に成ると
「このまま夜が明けなければ良い、ずっと真っ暗闇のままで地球が滅亡すれば良いのに」
と思ってた。
ある海外ドラマのセリフが頭から離れない。
『親を亡くしたら「遺児」という言葉を使い、連れあいを亡くしたら「ヤモメ」という。
でも、子を亡くしたらその言葉が無いんだ』
2011年のクリスマス
娘が居なくなってからのクリスマスや正月はどうでも良くて、ただただ苦しいだけだった。
でも息子が成長するにあたり、行事が分かり出したので今年は出来る限りやってみた。
25日は 甥と姪を招いてキムチ鍋を振る舞いました。
甥っ子に「遠慮せんと沢山食べな」と声を掛けたらホントに遠慮しないで全部平らげた。
そして娘が居なくなってから初めてクリスマスケーキを買い、妹親子と一緒に食べた。
そして、もう2度とクリスマスツリーを飾る事は無いと思ってたのにツリーも飾った。
息子は、自分が生まれる前に姉が居た事を未だ知りません。
今言っても幼すぎて理解出来ないでしょう。
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