子宮筋腫を除去して体外受精を開始

出来ればもう1度自分の子供を持ちたいと願い、

不妊治療のクリニックの門をたたいたのは今年の3月下旬。

(娘を失って1年2か月が経ったころ)

診察の結果、子宮内に9cmの粘膜下筋腫が見つかり、

子宮筋腫を取り除かなければ妊娠は不可能と診断されました。

(筋腫のせいで子宮内が変形し、着床するスペースが無い為)

セントマザー産婦人科の画像をお借りしてます。

診断を受けて すぐさま4月の初旬に総合病院でMRI検査を受けました。

先生:『開腹手術はリスクが伴うので筋腫を小さくしてからの

不妊治療を勧めます。先ず3ヶ月間、注射で筋腫を小さくしましょう』

子宮筋腫の治療に3か月も掛かるのか、、。

私はどうしても先生の提案を素直に聞き入れる事が出来ず、

「外科手術で直ぐに筋腫を取り除いて欲しい」と頼みました。

なぜなら、少しでも早く当時の状況を変えたい一心だったから。

ただ、娘を失ってからの食生活の乱れが原因で

1年余りの間に持病の貧血が更に酷くなり、通常の半分以下の数値に成ってたから

「貧血を治すまでは外科手術は無理」と言われました。

けれども、手術のリスクを承知の上で先生に泣きついて頼んだら

数日間 輸血をし、貧血を改善させてから開腹手術 と言う流れで納得した私。

筋腫手術の3日前から日帰り入院で3日間連続で輸血治療をしたお陰で

劇的に貧血が改善され、4月の初旬に子宮筋腫の開腹手術を受ける事が出来た。

(輸血をしてからは階段の上り下りで息が切れる事が無くなったのは自分でも驚いた)

子宮筋腫手術では、開腹したら1個が9センチの粘膜下筋腫だったのではなく、

3センチほどの筋腫が3個並んであったようです。(MRIでは1個の塊に見えた様だ)

手術の際、腰に打つ麻酔がとてもむず痒い感覚で気持ち悪かったのを覚えてます。

入院期間は短く、1週間足らずで退院出来ました。

入院中は薬のせいか、兎に角だるくて眠かった。

4月の初めに筋腫を取り除いたので

4月の終わりには『筋腫の除去手術をしてきたので体外受精の話を聞かせてください』

と不妊クリニックを再び訪れました。

そういう経緯で5月初旬から体外受精の治療を始めたばかりです。

クリニックの先生は 余りの治療の速さに驚いてましたが

5月初旬にはクロミッドと云う飲み薬とFSH注射で排卵を誘発し、

低刺激採卵方法と言う方法で採卵に向けての治療が始まりました。

自分でも驚いてるけど、娘が生きていた頃の私は

自分が体外受精に挑戦する事に成るとは思っても居ませんでした。

5月23日(採卵日当日

何時もより早起きして病院に行って採卵をしてきました。

(当日の朝、主人にDNA(種)を用意してもらい、それも忘れずに持っていきます)

採卵は全身麻酔だったので無痛でした。

9時半に静脈麻酔が入れられ、数分後には意識が遠のき始めて気が付けば採卵が終わり、

気が付いたらベッドの上で点滴を受けていました。目覚めたのはお昼ごろでした。

取れた卵子は全部で5個。

年齢が39歳だったので3個位取れたら充分だと思ってたから5個も取れたのは驚きです。

クリニックでは今朝持ち込んだ旦那の種と私の卵子を受精させる為に培養を始めました。

明日は、無事に受精したかを確認する為に クリニックに電話を入れる流れです。

体外受精を受けている人は今日の様な日は特に落ち着かないものでしょう。

でも、私は何の感情も抱くことが出来ませんでした。

ワクワク、ドキドキ、緊張などという気持ちが欠落してしまってるけど

今の私にできる事はやろうと決めた。

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一人娘を失ってからの不妊治療

私は36歳の時、17歳の一人娘を失いました。

平成19年1月23日。

ある日突然の交通事故であっけなくこの世を去って仕舞った我が子。

その日まで元気に生きて笑っていた娘が 在る日突然死んでしまうってどういう事?

在り得ない事が我が子に起こってしまった現実など

普通の人には判らなくて当然だし、それが普通だと思います。

『我が子を亡くす』と言う恐ろしい事はテレビの中の事。

他所様のお子さんが亡くなる事件や事故がテレビニュースで流れる度に

お気の毒に、、。とTVを見ていたけれど、

自分がその立場になり、初めてこんなにも大きな悲しみが在る事を知りました。

自分の頭で考えられる許容範囲を超えた深い悲しみでした。

活字で表現出来るような生易しい悲しみでは無いのは分かって欲しい。

私は娘の死から1年が過ぎても家の中で過ごすばかりで

人との関わりを避けて生活しています。周りの人たちは

「それでは駄目!そんなんじゃ亡くなった娘さんは悲しむよ」といいます。

そんな時は「どうして分かってくれないんだろう、、」って思う。

自分の命より大事な我が子が死んでしまったのに

どうして元の様に元気に成れるんですか?

同じ境遇に成ったら嫌と言うほど分かって貰えるのかな。

本当に悲しくて苦しくて どうしようもないんだから。

『それでは駄目』な事では無いんだよ。

テレビのチャンネルを変えるかの様に簡単に気持ちの切り替えが出来る出来事じゃない。

長い年月が必要なんです。

ブログのタイトルのとおりで「禍福は糾える縄の如し」

幸せと不幸は常に隣り合わせ。幸福な時には調子に乗らず慎重に。

不幸な時は希望を持とう。私はそういう解釈をもっています。

娘が他界して夫婦だけに成り、私は離婚を考えていた。

離婚を踏みとどませた理由は

「出来るなら心の拠り所をもう1度子供に求めたい」と思ったから。

新しい命を授かっても悲しみが消える訳では無い事も判っています。

子供の数じゃ無い。

残された子供さんが居る親御さんも子を亡くした悲しみは皆同じ様に深い。

心の底から求めているものは亡くなった我が子の元気な姿です。

なのに、娘の居ないこの世でどうやって生きて行けば良いのか?と毎日泣いてました。

思い描いていた未来が天と地の様に変わった私は

娘の居ない3年後や5年後の未来を想像するのさえ怖かった。

ただ、どうすれば今の状況を変える事が出来るか?と考えるようになり、

今の自分が出来る事をするしかない。と決意した。

そんな私は、娘の死から1年余り経った38歳で不妊治療に通う事になりました。

10年後に後悔しないためにも挑戦してみようと思う。

挑戦せずに後悔するのと、挑戦したけど結果が出なくて後悔するのでは

後悔の質が違うと思ったから。

40歳での高齢出産は大変だろうし、

一からやり直す育児も大変だと思うけど頑張ってみたい。

それでも私と同じように一人っ子を失い、次の子供を持つ事を諦めた方々を思うと申し訳なく思います。

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