2年半ぶりの実家

先週の金曜日(4月10日)約2年半ぶりに実家に帰りました。

昔は娘を連れて しょっちゅう実家に帰ってたから

実家には娘との思い出が沢山在る

だから帰りたいけど帰れなかった場所でした。

先日は銀行に行く用事があり、息子を一緒に連れて行く自信が無いから

実家の母に小一時間程 息子を預かって貰いました。

今回、息子を預ける事が目的だったけど、

実家に帰る事が出来たのは進歩だと思うし、両親も驚いてると思う

久々に帰った実家は模様替えですっかり変わってたけど

昔と同じ匂いで涙が出そうに成った。

丁度昼休みに帰宅してた父と居合わせて「何年ぶりや?」と

嬉しそうに笑いながら皮肉を言われました。

追記。

母から聞いた話だけど土曜の夜から姪と甥が実家に泊まりに来てて、

甥っ子が遊び道具を探してたら物置からキックボードが出て来たらしい。

キックボードは娘が小学生の頃、

「じいちゃんコレ買うて~」とおねだりして買ってもらった物。

甥と姪はキックボードで遊んでたそうで、キックボードを気に入った甥が帰り際に

「爺ちゃん、キックボードを持って帰ってもかまん?」と聞いたけど

「それは往かん!〇〇の物やけん持って帰るんは往かんぞ!」と言ったらしい。

悪気が在って断った訳では無かった筈。

ただ、父なりに想い出深い物だったんだろうな。と思うと涙が出た。

娘は実家で寝泊まりする事が多かった子だったから

キックボードで遊んでた娘の姿を何度も見てた父には大切な想い出の品なのかもしれない。

その翌日の昨夜は、我が家に両親を呼んで甥っ子の誕生会を開きました。

お寿司をとり、ケーキを食べて

久しぶりに両親や妹家族が我が家に集まって賑やかな夜になり、

娘がその場に居ない事を除けば本当に楽しい夜でした。

2年ぶりの長距離運転

今日は約2年ぶりに長時間 のドライブをしました。

ドライブと言っても主人が講習を受けに行くから送り迎えをしただけ。

過去に娘を乗せて何度も通った道なので色々な思い出が蘇って胸や喉が苦しくなった。

主人を車から降ろしたら 泣きながらの運転だったけど

昨年の今頃は庭に出る事でさえ一苦労だったから今日は良く頑張れたと思う。

実は、娘が亡くなる1年前から数か月おきに

自分が死んだら、、と何度か訊いてきた事が有ります。

娘:「お母さん、〇〇ちゃんが死んだら皆泣いてくれるかな?

 〇〇ちゃんが死んだらどうする?」

私:「アホな事云わんの!恐ろしくて考えれんわ」

どうして あんな事を何度も訊いてきたのでしょうか、。

私は普段からアルバムを広げる事が多かったです。

月に2回は広げ、穴が空く位に娘の成長する姿をアルバムで確認してました。

今思えば娘の姿を目に焼き付けるかの様に見てた気がする。

それは将来、辛くて見る事が出来なくなるのが判ってたんじゃ無いかと思う位

案の定、もう見るのが辛くて娘のアルバムを開く事が出来なくなりました。

仏壇に娘の好物を置く事しか出来ないのが悔しい。

にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
にほんブログ村

娘を亡くしてからの周りの反応

2008年11月10日

私は娘を亡くしてから朝起きる事が出来なくなり、昼まで寝込む事が多い。

何をする気にも成らない。

テレビから聞こえてくる楽しそうな声を聞くのも苦痛だから

テレビを見ない様になり、新聞さえ読まなくなった。

音楽だって聴く気に成らないから

車の運転中のカーオーディオも聴かなくなりました。

太陽の光も未だに嫌。風の匂いにも敏感で風が吹いても悲しくなる。

娘が生きていた頃は早朝から起きて時間が幾らあっても足りなかった。

今はもう、刺激のない静かな空間で過ごしたい。

まだまだ現実を受け入れる事が出来ない。

(2022年3月加筆)

親の場合は勿論ですが、夫婦の場合でも早かれ遅かれ、

どちらかが先に亡くなる事への心積もりが在るのが普通。

ただ、その対象が我が子となると、

今の世の中で「親より先に子が亡くなる」という

心積もりをしてる人は先ず居ないと思います。

当初は、社交辞令的な励まし言葉に傷つき、何度も泣いた。

代表的な言葉は

「早く元の様に元気に成ってね」「いつまでも泣いてたら娘さんが悲しむよ」

「もう帰って来ないんだから」等、。

やっぱり分かって貰えないんだと思いました。

確かに、慰める立場目線だと「元気に成って欲しい」気持ちが1番強いから

双方の気持ちが食い違うのは仕方がない。

ただ、子供を亡くした親は元の自分に戻る事を願っているのでは無く、

『元の姿で我が子を返して欲しい』 その願いしか無いのです。

当時の私は
『ずっと泣き続けて居れば誰かが私のもとに娘を元の姿で返してくれる』

そう思い込んでいて、娘が亡くなった事をずっと認める事が出来ませんでした。

当然ですが、いくら月日を費やしても願いが叶う事はありませんでした。

だからとても辛いのです。

とてつもない月日の経過と共に だんだんと諦めに代わっていったのです。

私の場合はウェブ上で同じ境遇の方のブログを探し、連絡を取り合いました。

励ましあったり慰めあったり、互いに気持ちを共有する事で

自分なりのグリーフケア(喪失を癒す方法)を見つけた気がします。

ブログを通じてメッセージ交換をする事で、

私もこの方たちと一緒に頑張って生きて行かなくては。と思うようになりました。

我が子を失う経験から何年も経過してる方からは

貴重な意見や励ましを貰う事で とても助けられました。

こんなに苦しいのは自分ひとりじゃない。

私の他にも同じ様な悲しみを背負っている親御さんが居る事を知りました。

当時の私は、友人への対応が悪かったのもあり、

『今は、そっとして置こう』→『もう、永遠にそっとして置こう』

と、いう流れで離れて行った友人が殆ど。

それでも、私の気持ちを理解してくれた友人も居て

無愛想な私に玄関先で二言、三言かわすだけの挨拶だったけど

「御供」と書かれていないお菓子や食材を

 娘へのおやつの様に定期的に差し入れ続けてくれた。

その友人とは今でもお付き合いしています。

気難しくなった私を見捨てずに

ずっと見守り続けてくれたミカとノリコは一生大事にしたい親友だと思っています。

(死別)我が子を失ってからの悲しみのプロセス

今日は主人の仕事のお使いで1年10か月ぶりにケーキ屋に行きました。

数か月前ならどんなに頼まれても

『ケーキ屋さんなんて絶対に無理。』と断ってたけど今日は不思議と行けた。

ケーキ屋の店内で娘が好みそうなケーキが陳列されているのを見ているうちに

『娘に買って帰ったら娘が喜ぶだろうなぁ。』と思った。

だんだん、娘が亡くなっている事が嘘に思えてきて

「娘に買って帰ろう」と、娘の分も買った。

帰宅後、直ぐにお仏壇に置いたら我に返る。

何で仏壇に置くんだろう?又辛くなりました。

何だか嘘の世界に住んでいるみたいな感覚です。

娘を亡くしてからの私は人と話をしたり、会うのが嫌で

社会生活に適応出来なくなりました。

ただ今日は、ケーキ屋に行く事が出来た自分を評価したい。

娘を失ってからの私は

ケーキ屋さんで「これ下さい」その一言さえ言えなかったから。

少しづつ出来る事を増やしていけばよいと思ってます。

喪失を癒す作業は人それぞれ個人差が在って当たり前だと思います。

私の場合は普通より長かったのか、短かったのか、、

これも人それぞれなので分かりません。

我が子を失った私は、これからどうやって生きて行けばよいのかが分からず、

グリーフケアの本を読んだりしたけど解決方法を見出す事は出来ませんでした。

我が子の死を受け入れる事ってそんなに簡単じゃない。むしろ到底無理だと思ってる。

(2022年3月加筆)

喪失には悲しみのプロセスと言うものが有るらしいので簡単に記述しておきます。

1.ショック期・・ショックが大きすぎて無反応、無感覚で周りには冷静に見られてる。

あるいはパニック状態に陥る。

2.喪失期・・頭では分かっていても現実だと思えなくて

故人がまだこの世で居るかのように思えてしまう。

泣く、怒る、自分を責めてしまう、敵意さえ抱いてしまう。

3. 閉じこもり期・・頭で理解が出来てはいるものの、

自分の価値観や生きる希望が見いだせなくて無気力になり、

あの時にああすれば良かった、、こうすれば良かったと後悔をする。

4.再生期・・新しい社会関係を築こうと思えるようになる。

人との関わりが出来るようになる。

私の場合は、この15年間を振り返ると1~3がとても長く感じ2~3年は費やしました。

.の新たな社会生活を望むという面では

不妊治療に臨もうと思った事がそれに値するのかもしれません。

しかし、社会的な人との関わりが動揺も無く、普通に出来るようになったのは

4年が過ぎたころかも知れません。

それでもやはり「悲しみを乗り越える」という言葉はやっぱり違うと思っていて、

「悲しみを背負う覚悟が出来た。」と言う意味合いが大きいと思います。

一つ言える事は、数年は掛かりますが悲しみのプロセスからは必ず脱出できます。

悲しみのプロセスの間は今まで出来ていた事が出来なくなります。

個人差はあるでしょうが私の場合は本当に何も手に付きませんでした。

生き地獄の真っ最中なので出来ない事を気にする事は在りません。

家事、仕事、人付き合い等など数年間は以前の様に出来なくて当たり前です。
にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
にほんブログ村

対人恐怖症だけど小さな趣味を見つけた

今日はいつもより頑張って床掃除が出来たから

ついでにコタツを出しました。

まだ2シーズンしか使ってなかったこたつ布団は

娘が生きてた楽しい頃を思い出して仕舞い、見るのも辛いからネットで新しく買い直した。

何を見ても辛くて泣いてしまう私だけど、今後はコタツを見て泣く事は無いと思う。

10時頃、レンタルビデオ屋に行ってきた(少し前から やっと行けるようになった)

今日は「デスぺラードな妻たち」など、海外TVドラマを借りました。

現実を忘れる為に集中してDVDを観終わった後はいつも反動が出て泣く。

私だけがDVDを観る事に罪悪感を感じ、娘に申し訳ない気持ちになる。

トイレに立った時とかホッとする場所は特に泣いてしまう。

まだまだ社会に適応できなくて対人恐怖症の引き籠りだけど

少し前から家庭菜園に目覚めました。

中々芽が出なかったの三つ葉だけど、2週間程待ったら芽がでて、

今では三つ葉らしくなりました。

店で買っても安いものだけど他にやる事ないし、

そもそも買い物に行くのが苦痛だから。