一人娘を失ってからの不妊治療

私は36歳の時、17歳の一人娘を失いました。

平成19年1月23日。

ある日突然の交通事故であっけなくこの世を去って仕舞った我が子。

その日まで元気に生きて笑っていた娘が 在る日突然死んでしまうってどういう事?

在り得ない事が我が子に起こってしまった現実など

普通の人には判らなくて当然だし、それが普通だと思います。

『我が子を亡くす』と言う恐ろしい事はテレビの中の事。

他所様のお子さんが亡くなる事件や事故がテレビニュースで流れる度に

お気の毒に、、。とTVを見ていたけれど、

自分がその立場になり、初めてこんなにも大きな悲しみが在る事を知りました。

自分の頭で考えられる許容範囲を超えた深い悲しみでした。

活字で表現出来るような生易しい悲しみでは無いのは分かって欲しい。

私は娘の死から1年が過ぎても家の中で過ごすばかりで

人との関わりを避けて生活しています。周りの人たちは

「それでは駄目!そんなんじゃ亡くなった娘さんは悲しむよ」といいます。

そんな時は「どうして分かってくれないんだろう、、」って思う。

自分の命より大事な我が子が死んでしまったのに

どうして元の様に元気に成れるんですか?

同じ境遇に成ったら嫌と言うほど分かって貰えるのかな。

本当に悲しくて苦しくて どうしようもないんだから。

『それでは駄目』な事では無いんだよ。

テレビのチャンネルを変えるかの様に簡単に気持ちの切り替えが出来る出来事じゃない。

長い年月が必要なんです。

ブログのタイトルのとおりで「禍福は糾える縄の如し」

幸せと不幸は常に隣り合わせ。幸福な時には調子に乗らず慎重に。

不幸な時は希望を持とう。私はそういう解釈をもっています。

娘が他界して夫婦だけに成り、私は離婚を考えていた。

離婚を踏みとどませた理由は

「出来るなら心の拠り所をもう1度子供に求めたい」と思ったから。

新しい命を授かっても悲しみが消える訳では無い事も判っています。

子供の数じゃ無い。

残された子供さんが居る親御さんも子を亡くした悲しみは皆同じ様に深い。

心の底から求めているものは亡くなった我が子の元気な姿です。

なのに、娘の居ないこの世でどうやって生きて行けば良いのか?と毎日泣いてました。

思い描いていた未来が天と地の様に変わった私は

娘の居ない3年後や5年後の未来を想像するのさえ怖かった。

ただ、どうすれば今の状況を変える事が出来るか?と考えるようになり、

今の自分が出来る事をするしかない。と決意した。

そんな私は、娘の死から1年余り経った38歳で不妊治療に通う事になりました。

10年後に後悔しないためにも挑戦してみようと思う。

挑戦せずに後悔するのと、挑戦したけど結果が出なくて後悔するのでは

後悔の質が違うと思ったから。

40歳での高齢出産は大変だろうし、

一からやり直す育児も大変だと思うけど頑張ってみたい。

それでも私と同じように一人っ子を失い、次の子供を持つ事を諦めた方々を思うと申し訳なく思います。

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