一人娘を失ってからの不妊治療

2008年5月23日

私は36歳の時、17歳の一人娘を失いました。

平成19年1月23日。ある日突然の交通事故でした。

その日まで元気で当たり前のように生きて笑っていた娘。

元気な我が子が亡くなるなんて事、誰も考える筈がありません。

我が子を亡くすなどと言う恐ろしい事はテレビの中の事。

他所様のお子さんが亡くなる事件や事故がテレビニュースで流れる度に

お気の毒に。。と見ていたのですが、

自分がその立場になり、こんなにも大きな悲しみがこの世に在る事を初めて知りました。

自分の頭で考えられる許容範囲を超えた深い悲しみでした。

在り得ない事が我が子に起こってしまった現実など
普通の人には判らなくて当然だし、それが普通だと思います。

当の私は1年が過ぎても家の中で過ごすばかりで人との関わりを極力避けて生活しています。

ですが周りの人たちは「それでは駄目!そんなんじゃ亡くなった娘さんは悲しむよ」

といいます。確かにそうかも知れません。
ですが、同じ境遇に成って仕舞ったら嫌と言うほど判る筈です。
本当に悲しくてどうしようもないんです。『そんなんじゃ駄目』な事は無いのです。

ブログのタイトルどおりです。「禍福は糾える縄の如し」幸せと不幸は常に隣り合わせ。

幸福な時には調子に乗らず慎重に。

不幸な時は嘆き悲しむばかりせず希望を持とう。私はそういう解釈をもっています。

もう子供のいない夫婦だけの我が家。
出来るなら心の拠り所をもう1度子供に求めたい。

それでも私と同じように一人っ子を失い、次の子供を持つ事を諦めた方々を思うと申し訳なく思います。

子供の数じゃ無いのは判ってます。

残された子供さんが居ても子を亡くした悲しみは皆同じです。

新しい命を授かっても悲しみが消える訳では無い事も判っています。

心の底から求めているものは亡くなった我が子の元気な姿です。

なのに、娘の居ないこの世でどうやって生きて行けば良いのか?と毎日の様に泣いてました。

思い描いていた未来が天と地の様に変わって仕舞った私は

3年後または5年後の自分を想像する事すら出来なくなりました。

ただ、どうすれば今の状況を良くしていけるのかを考えるようになり、

自分が望み、今出来る事をするしかない。そう考えるようになりました。

そんな私は娘を失って1年余り経った38歳で不妊治療に通う事になりました。

10年後に後悔しないためにも挑戦してみようと思う。

挑戦せずに後悔するのと、挑戦したけど結果が出なくて後悔するのとでは後悔の質が違うと思ったからです。

40歳前での高齢出産は大変だろうし、

一からやり直す育児も大変だと思うけど頑張ってみたい。

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