亡き娘の誕生日

2019年7月25日

7月16日は平成19年に17歳で夭折した一人娘の誕生日でした。

娘が亡くなった日、夜間の定時制高校を休んでいたら、、

もしくはバイクで通学させずに車で送迎してたら、

ネズミ捕り中の警察に追われる事が無かった筈。

色んなタイミングが悪くて命を落としてしましました。

普段から交通ルールを守ってた筈なのにその日に限って一旦停止を怠って仕舞った様。

サイレンにビックリして停止するどころか加速させてしまい、鉄柱に激突。

本当なら生きて30歳の誕生日を迎えている筈なのに悔やんでも悔やみきれない。

娘本人も こんな人生の終わり方をするとは夢にも思ってなかった筈。

私だってそうだ。

手塩にかけて育てた大事な娘が棺の中で冷たく成ってる姿など

想像すらした事が無かった。

17歳には相応しくない白装束を身にまとい

名前を呼んでも擦っても返事をしてくれない我が子。

弾力のある温かかった頬が人形の頬の様に固く冷たく成り、

これが夢なのか現実なのか分からくなって仕舞った。

そこからの日々は活字で表現出来る様な生易しいものでは無かった。

主人は勿論、両親や妹にも気持ちを開ける事が出来ず引き籠り生活を送りました。

兎に角、人と関わるのが苦痛で、大好きだった動物と関わる事さえ無理でした。

感情を失ってたから、好き、可愛い、美しい、有難う、心地良いと言う感覚は一切無かった。

「もう、私が笑う事は一生無いだろう」と思ってました。

私の場合は不妊治療で再び子供を授かり、

育児をしているうちに少しづつ気持ちが解けて来ました。

今は、娘が17歳からの空白の時間が長く、30歳の娘を想像する事が出来ない。

生きていれば子育てをしながら 夢だった看護師の仕事をしてたと思う。

優しい旦那さんと温かい家庭を作っていただろうか。

あるいはバツイチに成ってたかも知れないけどそれでもいい。

苦難が降りかかっても生きてさえくれれば一緒に悩み娘を支えて守りたかった。

何年経っても短命だった我が子が不憫で成らない。

そんな7月16日の娘の誕生日。

いつも命日に参りに来てくれる娘の友達がひょっこり来てくれた。

どうしたの?と訊くと

娘が夢に出てきたけど夢の中の娘の声が聞き取れなくて

声を忘れて仕舞ってた事が凄く悲しいと泣いてくれました。

そんなこと言われたら私も我慢できず娘の友達と号泣しました。

娘の友人は娘との思い出写真をお菓子に焼いて持って来てくれました。

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