来年は亡き娘の成人式

2009年12月14日

娘が生きていれば1か月後に成人式を迎えます。

最近、娘の中学時代の同級生から2本の電話がありました。

1本目は 亡き娘の写真と共に成人式に参列したい。との申し出。

2本目は 同級生らで亡き娘にお参りさせて貰いたい。との申し出。

娘の事を想って申し出てくれた同級生の気持ちがとても有難かった。

娘の事を忘れないでいてくれて有難い気持ちでいっぱいに成った。

しかし私は、この2本の電話の申し出をお断りして仕舞いました。

未だ社会的な適応が出来ない私が、

晴れて成人式を無事迎えられるお嬢様方を目にするのが辛過ぎて

笑顔でお茶を出したりお持て成しをする自信が無かったから。

何より彼女らが帰った後にどんな気持ちに成るのか察しが付いたのも在る

家の娘だけが取り残された気分になり、可哀想で堪らなくなるのが分かりきってた。

「お参り」や「写真だけでも成人式」

娘を想ってくれた気持ちはとても嬉しくて感謝しか在りません。

でも、今はどうしても無理なので無礼をお許しください。

本当なら娘も同級生らと振袖を着て出掛ける筈だった無念さが勝ってしまいました。

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3年ぶりに娘のアルバムを開く

2009年12月8日

今日は娘が6歳頃の事を思い出して泣いた。

娘が5~6歳頃の私は、今の会社を始めたばかりの旦那を手伝う為、

長年続けた美容師を辞めて土木工事を手伝ってました。

コンクリートが乾きにくい冬場はコンクリートの͡コテ押さえをする為に

夫婦で工事現場へ出かけた事もあったっけ。

幼い娘を一人家に残して留守番させる事は不用心だから

目の届く車中で1時間くらい待たせてました。

車の中で大人しく待っててくれて聞き分けのいい素直な子でした。

帰りは夜中になり、帰り道に寝てしまった娘の寝顔を思い出した。

当時も思った事だけど、健気な娘が凄く可哀想に成った。

もっと大事にして、もっともっと甘やかせてあげれば良かった。

今日は娘の死後、見るのが辛くて2階の納戸に仕舞い込んだ

娘のアルバムを1冊だけリビングに持って降りた。

手に取った瞬間から涙が出る。

無造作に手に取ったアルバムは丁度5~8歳位の写真を収めた物でした。

3年ぶりにアルバムを開くと涙が止まらなくなった。

あれ程帰りを待ち続け、ずっと逢いたかった娘には写真でしか逢う事が出来なくなった。

この子が17歳で死んでしまうなど、想像した事も無かった。

何でこんな事に成って仕舞ったのか、考えても考えても納得がいかない。

我が子の冥福とは

2009年11月12日

旦那が今日、古い友人にバッタリ会ったそうです。

軽く世間話を交わし、

「また今度遊びに行くわ」と言ってくれたそうで大変嬉しかったそう。

旦那:「みやもっちゃんが今度遊びに来るって言いよったぞ~」

私:「ふ~ん」

旦那は「ふーん」の返事では気が済まないらしく、3回も4回も同じ事を言って来ます。

しつこいので「ただの社交辞令やろ。」と云いました。

今の私は、昔の友達が遊びに来ると聞けば身構えてしまう。

今日の「ゆくさん」の記事にも在ったけど

我が子を死人とした冥福は、他人が祈るものであり、親の仕事ではないと思っています。
(私見です。)

ホントこれだよ。

私以外の人間にとって 娘は既に死んだ子として認識出来るから

仏壇に手を合わせ冥福を祈ってくれるのでしょう。

しかし、私にとって娘は未だ死人ではありません。

いつもどおりに玄関開けて帰って来る筈の我が子が

ある日突然帰ってこなくなった。それだけなのです。

亡き我が子の冥福よりも、あの子の帰りをずっとずっと待っていたいのです。

               

                           

 

娘が生きていた最後の日

2009年8月29日

庭の花に水遣りをしていたら 

娘が生きていた最後の姿を見た日の光景が頭に浮かんだ。

あの日の14時頃が生前の娘を見た最後だった。

娘が2度と生きて帰って来ないだなんて、微塵も想像しなかった。

いつも言う『行って来ます』も言わず、

バイクを押しながら 泊まりに来てた同じ定時制高校に通う友達と出かける娘。

どことなく寂しそうに見えたのに声を掛けてやる事もせず、

愛猫を抱いて黙って窓から娘の姿を眺めていた私。

それがあの子の最後の姿でした。

その時、妙に脇腹が痛んだ事は鮮明に覚えています。

娘は友人と銭湯に行き、そのまま夕方からの定時制高校に向ったようです。

普段は彼氏か私の車で送迎していたのに 

その日に限って友達をバイクに乗せて登校した娘。

授業が終わり、友達はお母さんが学校近くまで迎えに来たので

娘はひとり、バイクで下校する事に成った寒い夜。

友達を乗せている時の事故で無かった事は救いだけど、

遣る瀬無い気持ちは変わらない。

警察から返された娘のお気に入りの白いダウンジャケットや

グレーのジャージとヘルメットはゴミ袋みたいなのに入れられ、

目を背けたくなるほどに損傷してました。どれ程に痛かった事でしょうか。

お気に入りの赤いヘルメットは 娘の血や細胞が こびりついて固まっていました。

兎に角洗わなくては、、綺麗にしてあげなくては、。

頭の中は空っぽで放心状態だったのに頭を撫でる様に

ヘルメットにお湯をかけて洗い流しました。

心底悔しくて辛い。こんな事は嘘やろ。って今でもお母さんは思う。

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自家製ポテトチップスと2年ぶりの外食が天下一品

先日、妹親子が遊びに来てくれたから、おやつにポテトチップスを作ってみた。

甥が『皮にも栄養が在るんで~』と言うので皮付きのままスライスして揚げたよ。

えっ?何だか偉く旨そうなのが出来たんですけど。

某ポテトチップスより美味しいわ。

さて。

私は娘を亡くしてから外食が出来なくなりましたが、

昨夜(8月16日)2年以上ぶりに外食してきました。

両親と妹家族と一緒に天下一品に出掛けて

ラーメンと餃子と生ビールを父にご馳走して貰ったんだけど、

私が外食に行く気に成った事を両親と妹が喜んでくれたのが嬉しかった。

泣きもせず、途中で寝た息子を母がずっと抱いていてくれたので

久々にゆっくりと食事をした気がした。

娘の事を思い出しながら食べたから涙が出そうになった。