(妊娠12週~)風疹抗体値が500近く+巨大膀胱

2008年8月25日 木曜日(12週目

本日、不妊クリニックで血液検査の結果を聞いたら

風疹抗体値が500近くもありました。

そういえば娘の時も風疹抗体値が高かった記憶がある。

それでも元気に生まれたので心配は減ったけど不安もある。

血液検査を聞いた後

隣接する産婦人科で妊婦検診を受けたけど此処でも問題発生

腹部をエコーしたら胎児の骨盤辺りに「黒い影」が映し出されました。

通常12週の時期では見えない影なので経過を見ましょう」と言われました。

どのみち、産院を変わるつもりだったから紹介状を書いてもらい、

別の病院でもう1度診察して貰う事にした。

2008年8月26日 金曜日 (12週目)

翌日、紹介状を持って別の産院で診察を受けたら

大きな病院で診てもらう必要が在る」と言われました。

再び紹介状を書いて貰ってその日のうちに大きな病院で診察を受けました。

(1日に2軒も産院をハシゴ)

大きな病院で診察してもらった所、 

風疹抗体値は体質に拠っては高い数値が出る場合があるので

再検査で大丈夫なら心配ない」と言ってくれた。

ただ骨盤辺りの黒い影は「巨大膀胱」と云う疾患で

胎児の膀胱内は、おしっこが出せないまま溜まっている状態らしい。

言葉を選びながら慎重に説明してくれたので只事では無い事を察知した。

このまま妊娠を継続させるのか、断念するのかを決断する事になるかも知れない。

もしくは妊娠を継続する事が出来るかどうかも判らないらしい。

「何とか出産までこぎ着けても、生まれて直ぐに命が危ぶまれる可能性がある」

と説明を受けました。

家に帰り、直ぐにネットで検索しまくったけど症例が少ない様で殆ど情報が得られない。

後日、もう1度診察をしてから今後の事を相談しましょう」って事で産院を後にしました。

2008年9月5日 木曜日 (再び診察日)

再び診察を受けに行って来ました。

まず、エコーで診察して貰ったら 

巨大膀胱が消えていたので先生がとても驚いてました。

先生の経験上では他の病院で14週位の胎児が巨大膀胱という診断を受け、

先生の元に紹介状を持って来られた妊婦さんはどの方も予後が悪く、

私の様なケースは初めてだそうです。

このまま妊娠を継続する事が出来て良かった。

ただ、膀胱の腫れが消えたとは言え、

膀胱が腫れた原因は染色体異常も視野にいれるべきなので

もう少し週数が経ったら羊水検査を受ける事を薦められた。

一難去って又一難が来ない事を祈るのみです。

もう1度子供を持ちたくて不妊治療を受け、妊娠と言う結果が出せたけれど

ずっと素直に喜べませんでした。

亡き娘はとても優しい子なのでそんな事でヤキモチを焼く筈がないのに

お腹の赤ちゃんに愛情を持つ事=娘に申し訳ない気持ちになる。

妊娠4週目から週に1度の診察を受けてきた私は

毎回 無表情でエコーに映し出される胎児を見てました。

情が湧くのを無理やり抑えてたのかも知れません。

兎に角、子供が無事で良かった事に安心し、診察室で泣いてしまった。

クリニックで妊娠判定~妊娠継続に必要な血中HCG値~母子手帳

2008年7月7日(判定の日)

クリニックで妊娠判定をしてもらったら4週2日目でした。

子宮の中は未だ何も見えないけど尿検査で陽性。

実は、クリニックに行く前にも市販の妊娠検査薬で

フライング検査をしたら陽性だったので

自分では分かってたけどクリニックで正確に判定してもらう事で安心できた。

2008年7月15日 (血中HCG)

クリニックに行ってきました。今日で5週3日目。

先週の4週2日目で採血した血中HCGの結果、

妊娠継続に必要な数値は4週目だと100以上は欲しい所だけど66しか在りませんでした。

数値は高すぎても低すぎても心配です。

先生は励ましてくれてる様で心配風だったり、。

今日は採血しなかったけど

ホルモン補充と言う事でいつもの筋肉注射を2本。

後は飲み薬を貰って帰ってきました。次の通院は1週間後。

2008年7月30日 (心音が聞こえた)

お腹の中の赤ちゃんは普通より少し小さいけれど先週に比べたら大きく育っていた。

胎嚢の大きさは言ってくれなかったけど胎芽は9mmありました。

そして超音波エコーから大音量で聞こえてきた心音に驚きました。

これが生命なんだと実感。無事に生まれてきて欲しいと心から願います。

2008年8月24日 (不妊クリニック卒業と母子手帳交付)

先週の通院(10週4日)で不妊治療が終了しました。

市役所で母子手帳を受け取り、次回からは産婦人科での検診となります。

出産予定日は3月14日。

子宮筋腫の開腹手術後から1年経ってないから

帝王切開に成るだろうから もう少し早い出産日になるかな

娘が生きていた頃の私は

「不妊治療」や「体外受精」と言う言葉だけは耳にした事があったけれど

自分には無関係な世界だと思ってました。

しかも、40歳前後で子供を産むなんて無理だと思い込んでた。

確かに身近で高齢出産した人はそんなに居ません。

しかし、今ではインターネットで検索すると高齢育児をされてる方が多くいますね。

芸能人は勿論ですが一般の方も高齢出産のブログ記事を発信しているのを

目にした事が切っ掛けで勇気を貰う事が出来ました。

にほんブログ村 子育てブログ 高齢ママ育児へ
にほんブログ村

胚盤胞移植に向けて~ホルモン補充周期~移植完了

2008年6月11日 

(ホルモン補充周期開始)

今日から胚盤胞移植のホルモン周期方法で子宮内膜を厚くする為に

「プレマリン」と云う薬を服用しながら受精卵の移植に向けて体調を整えていきます。

移植には自然周期とホルモン周期という方法があり、

私は年齢の事もありますし、胚移植をする日程が組みやすいホルモン周期で挑みます。

(受精卵が着床しやすくするように子宮内膜を整えてから移植を行う方法)

今日はこの間採卵してきた採卵費用をクリニックで支払いました。

199500円。思ったより安かったのかな?

(採卵の当日に前金として42000円支払ってるけど。)

まだまだ費用は掛かるのに金銭感覚が変になってます。

ってうか頭が変に成ってるんだと思う。

でも何度も出来ないと思うし、このお金を捻出するのは実際、とても大変です。

2008年 6月18日  

(ホルモン補充周期12日目)

1週間ぶりに病院へ行ってきました。

ホルモン補充周期12日目で内膜15mmで申し分ない内膜。

筋腫の除去手術で子宮内を切開したから内膜の傷口がひきつれて凹んでしまい、

その部分だけ隙間が出来ているけど何とか大丈夫そうとの事で一安心。

予定では6月27日に胚盤胞移植をする。

7月には高齢妊婦に成れる事を祈ります。

2008年 6月27日 

~(胚盤胞移植当日)

2個出来た胚盤胞のうち、1個の胚盤胞移植をしてきました。

先生に2個とも胚盤胞を移植してほしいとお願いしましたが

「双子妊娠はリスクが無いとは言い切れない」と言う理由で却下されました。

病院で記念に貰った受精卵の写真。

この受精卵の周りの皮を1枚剥いだ状態にして

アシスドハッチングと言う特殊な技法で移植しました。

受精卵が卵の殻を破りやすい様にして着床率をあげるらしいです。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: f2c7b82dd77746071acf6d407ad759f0.jpeg
無事にこの子と会えるかな?

移植は麻酔無しですが移植時の痛みは在りませんでした。

移植後は兎に角、安静に過ごしました。

2008年 6月30日

~(採血と筋肉注射)

受精卵の移植をしてから3日後、採血と注射の為に病院へ行ってきました。

採血の結果、黄体ホルモンも問題なしで安心する。

筋肉注射は肩に2本。この注射を打つと筋肉痛に似た鈍い痛みがずっと続きます。

今週、もう1度採血と注射に通ったら来週には妊娠判定だ。

にほんブログ村 子育てブログ 高齢ママ育児へ
にほんブログ村

採卵後1日目から6日目の胚盤胞までの記録

2008年5月24日

~採卵1日目~

今日は昨日採取した卵子の状態を確認する為に病院へ電話確認しました。

5個採れた卵子のうち、4個の卵子が精子と受精し4つの受精卵となりました。

本来なら身体の中で起こる現象が身体の外で行われる事に複雑な気持ち。

これから5~6日かけて受精卵を胚盤胞と言う細胞になるまで培養していきます。

着床率を少しでも上げるために胚の状態ではなく、

胚盤胞まで育てて子宮に移植する方が良いそうです。

受精卵が胚盤胞まで育つ確立が50%と説明を受けました。

先ずは4個の受精卵が確認出来てホッとしました。

2008年5月28日 

~採卵から5日目~
朝9時、病院に確認の電話をしました。

4個とも細胞分裂は進んでいて今朝の時点では未だ胚盤胞には為っていませんでした。

明日の朝に胚盤胞になってくれたら6日目胚盤胞になります。

明日は移植出来る状態の受精卵かどうかの

最終確認の電話なので少し緊張して電話する事になりそう。

2008年5月29日 

採卵から6日目

今朝、クリニックに受精卵の最終確認の電話をしました。

4個の受精卵は順調に細胞分裂をしてたけど

2個は途中で成長が止まって駄目になり、

今朝の時点では残り2個だけが胚盤胞になったので

来月予定している移植日まで凍結して貰う事になりました。

次回の通院は次の月経が終わったら行く予定です。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

子宮筋腫を除去して体外受精を開始

出来ればもう1度自分の子供を持ちたいと願い、

不妊治療のクリニックの門をたたいたのは今年の3月下旬。

(娘を失って1年2か月が経ったころ)

診察の結果、子宮内に9cmの粘膜下筋腫が見つかり、

子宮筋腫を取り除かなければ妊娠は不可能と診断されました。

(筋腫のせいで子宮内が変形し、着床するスペースが無い為)

セントマザー産婦人科の画像をお借りしてます。

診断を受けて すぐさま4月の初旬に総合病院でMRI検査を受けました。

先生:『開腹手術はリスクが伴うので筋腫を小さくしてからの

不妊治療を勧めます。先ず3ヶ月間、注射で筋腫を小さくしましょう』

子宮筋腫の治療に3か月も掛かるのか、、。

私はどうしても先生の提案を素直に聞き入れる事が出来ず、

「外科手術で直ぐに筋腫を取り除いて欲しい」と頼みました。

なぜなら、少しでも早く当時の状況を変えたい一心だったから。

ただ、娘を失ってからの食生活の乱れが原因で

1年余りの間に持病の貧血が更に酷くなり、通常の半分以下の数値に成ってたから

「貧血を治すまでは外科手術は無理」と言われました。

けれども、手術のリスクを承知の上で先生に泣きついて頼んだら

数日間 輸血をし、貧血を改善させてから開腹手術 と言う流れで納得した私。

筋腫手術の3日前から日帰り入院で3日間連続で輸血治療をしたお陰で

劇的に貧血が改善され、4月の初旬に子宮筋腫の開腹手術を受ける事が出来た。

(輸血をしてからは階段の上り下りで息が切れる事が無くなったのは自分でも驚いた)

子宮筋腫手術では、開腹したら1個が9センチの粘膜下筋腫だったのではなく、

3センチほどの筋腫が3個並んであったようです。(MRIでは1個の塊に見えた様だ)

手術の際、腰に打つ麻酔がとてもむず痒い感覚で気持ち悪かったのを覚えてます。

入院期間は短く、1週間足らずで退院出来ました。

入院中は薬のせいか、兎に角だるくて眠かった。

4月の初めに筋腫を取り除いたので

4月の終わりには『筋腫の除去手術をしてきたので体外受精の話を聞かせてください』

と不妊クリニックを再び訪れました。

そういう経緯で5月初旬から体外受精の治療を始めたばかりです。

クリニックの先生は 余りの治療の速さに驚いてましたが

5月初旬にはクロミッドと云う飲み薬とFSH注射で排卵を誘発し、

低刺激採卵方法と言う方法で採卵に向けての治療が始まりました。

自分でも驚いてるけど、娘が生きていた頃の私は

自分が体外受精に挑戦する事に成るとは思っても居ませんでした。

5月23日(採卵日当日

何時もより早起きして病院に行って採卵をしてきました。

(当日の朝、主人にDNA(種)を用意してもらい、それも忘れずに持っていきます)

採卵は全身麻酔だったので無痛でした。

9時半に静脈麻酔が入れられ、数分後には意識が遠のき始めて気が付けば採卵が終わり、

気が付いたらベッドの上で点滴を受けていました。目覚めたのはお昼ごろでした。

取れた卵子は全部で5個。

年齢が39歳だったので3個位取れたら充分だと思ってたから5個も取れたのは驚きです。

クリニックでは今朝持ち込んだ旦那の種と私の卵子を受精させる為に培養を始めました。

明日は、無事に受精したかを確認する為に クリニックに電話を入れる流れです。

体外受精を受けている人は今日の様な日は特に落ち着かないものでしょう。

でも、私は何の感情も抱くことが出来ませんでした。

ワクワク、ドキドキ、緊張などという気持ちが欠落してしまってるけど

今の私にできる事はやろうと決めた。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村